タイトルに大げさなことを書いても、その前にそもそも「チェスをやる意義」を論じなければこの話は無意味です。ただそれについては「楽しいから」で充分だと思いますので、コンピューターとチェスをやるのもそれが面白ければ意味はあるわけですから、ここではあくまでそれ以外――コンピューターとチェスをやって強くなれるか、の話をします。
さて、私は今のところ本で定跡等を並べたりしているだけで、実戦の経験はほとんどありません。ただ、かつて夏のSF大会のチェスの部屋で負けてしまった経験があるので、今度こそは何とか一勝はしてやろうと思っています。それが最近、将棋をよくやる人と一戦交える機会を得まして、最初のうちは結構いい展開をしていたんですが、最後の土壇場、もう勝ちかな、と思ったところでミスをして負けてしまいました。
さて、前半で私が有利だったのは、これはもちろん、序盤や中盤の研究や、駒の価値、動かすコツなどをよく知っていたからでしょう。ところが最後の最後でミスをしたとすると、私がこう言うゲームに全然向いていないという可能性を抜かせば、あとは一つしか理由がありません。何かの訓練が足りなかったのです。
チェスにせよ将棋にせよ、定跡を覚えるとか序盤の展開を知るとかは、訓練と言うよりは「勉強」の領域に入ります。これがどう違うのか、と正面切って尋ねられると困るかな? でも、何となくの感じはわかりますよね。それで、コンピューターとの対戦ではどんな訓練が出来るのかがわかれば、それがすなわち「意義」と言うことになります。
さて、実際にフレッツやプレイステーションなどと対戦してわかったのですが、そもそも私がコンピューターに負けてしまう最大の理由は、とにかく「ミス」なんです。ミスと言うのは、明らかに3手先くらいまで読んでいればこんなことにはならない、あるいはひどい時には、まったく何の意味もなくただ取りで駒損してしまうような、「間違った手」のことを言っています。本当は10手くらいまで読んで、と言いたいところなんですが、それはちょっとおいといて、とにかく駒を動かした直後、敵のナイトにさっさとクイーンを横取りされた時の唖然とした気持ちは、このホームページを読んでいらっしゃる方にはよくわかっていただけるでしょう。
ミスがどうして発生するのか。凡人の場合、これは明らかに「深く考えない」と言うただそれだけの理由です。もうちょっと考えていれば、あんなことにはならなかったのに〜。こんな経験は何度もしています。
前述の最近ただ一回の実戦で得た教訓は、「買ったと思った時にも気を緩めるな」でした。相手は将棋の実戦経験が非常に豊富な人だったので、先読みの訓練は私なんかよりもずっと出来ていたのでしょう。その点の優劣の差が、序盤の研究の成果を上回ってしまったのです。あの時、もうちょっと考えていれば――。まあ、これは言っても仕方ありません。
つまり結論は、コンピューターとの対戦は、少なくともよく考える癖をつけて、ミスを減らす役には立つと言うことです。現に、一回もミスをしなかったと思える時は、プレイステーションの最強モードに後手で勝てました。さて今度は、フレッツに勝利するのが目標です。