ルック、ルーク、Rook、


 右の写真の駒の名前は何でしょう? ルック? それとも、ルーク? あるいは、キャッスルかな?

 私が最初にチェスに触れたのは、小学校の時に父が借りてきた入門書によってです。それにはこの駒の名前として「ルック」と書いてありました。それでチェスに興味を持ち、親にねだって駒を買ってもらったのですが、これについていたルールブックには「ルーク」と書いてあります。果たしてどちらが正しいのでしょうか。
 そのころは英語を習っていなかったのでどうしようもありませんでしたが、今、オクスフォードの辞書を調べると、この駒の名称は「ルク」です。英語には促音がないからこうなるのですが、日本人には「ルック」と聞こえるでしょう。ということで、この駒は「ルック」だとわかる――のでしょうか。

 英語の「look」はもちろん「ルック」です。この「l」を「r」に置き換えたものが「ルック」になるのはごく自然なことですが、「room」はもちろん「ルーム」ですよね。ということは、「rook」を「ルーク」と読むことも全然間違いということではないとわかります。
 だいたい「sweet」が「スウィート」で、「sweat」が「スウェット」、「speak」が「スピーク」ですから、英語と言うのが基本的に発音を表記することが苦手な言語だとわかります。ネイティヴな話し手だって、小さいころから英語に触れているから初めてわかるので、チェスを全然知らない人が「rook」を何と読むのか聞かれたら、例え英語圏の人でも「ルック」か「ルーク」かは迷うことでしょう。

 ところで私がここで問題にしているのは、「rook」を日本語で何と言うかです。英語の発音ではありません。前述のように、もしも英語の発音に出来る限り忠実に従おうとすると、「ルック」も「ルーク」も間違いで、正解は「ルク」です。日本語になると発音が変わるというのはしばしばあることで、「bed」や「dog」を「ベッド」や「ドッグ」と言わない日本人はたくさんいます(「ベット」、「ドック」のように、最後が清音になる。促音は濁音に使いにくいからです)。
 一つクイズを出しましょう。アルファベットの三番目、「C」の正しい発音はなんでしょうか?
 「スィー」と答えた人はある意味で間違っています。なぜなら、これはドイツ語では「ツェー」であって、ドイツ人なら誰たでも「スィー」が正しいとは言わないでしょうから。「スィー」はあくまで英語の発音であって、アルファベットの読み方は言語によって変わってしまうのです。したがって、現状を見る限りでは、「C」の日本語での正しい発音は「シー」と言うべきでしょう。同じように、「H」は「エッチ」です、あくまで日本語では――。
 「tarot」と言うカードのセットがありますが、これは英語では「タロウ」です。辞書にはちゃんとそう書いてあります。もともとフランス語から英語に伝わった単語で、フランス語は最後のtを読まないから「タロウ」なので、英語もそれを踏襲しました(他には、「レストラン」がそれです)。ところが日本に入って来た時、日本人はこれを「タロット」と読んだのです。これはごく自然なことですが、英語に詳しい人から「間違っている」という意見が上がり、旧奇想天外の誌上などで議論があったのはご存知でしょうか。
 しかし結局のところ、日本に広まったのは「タロット」の方でした。「タロウ」が英語として正しいことはわかったとしても、どうも「太郎」という名前を連想させる(「ジロー」というレストランも、個人的にはどうも「次郎」を思い出します)とか色々な理由もあったのでしょう。ある解説書には、はっきりと「『タロット』は日本語というべき」と書いてありました。
 もちろんこれは、国語審議会でこうすると決めたわけではありません。例えばこのホームページの「デューン・クラブ・ジャパン・インターネット」にも、デューンのタロウ・カードと言うのがありますが、これは日本で訳されている「デューン・砂漠の救世主」の訳語が「デューン・タロウ」になっているのに合わせたからです。私は個人的にこれを「タロウ・カード」と読んでいますが、「タロット」が広まっていることはもちろん承知しています。

 さて、「rook」を日本語で何と言うかは、どこで決めるのでしょう。国際チェス連盟の下部組織である日本チェス協会では、これを「ルーク」と表記します。したがって、「日本語では(英語でどうであっても)ルーク」ということになるのかも知れません(英語と日本語以外で何というのかはまったく知りません。フランス語なんかでは「リュック」とでもいいそうですよね)。だからといってそれに絶対に従うという必要もないわけですから、これからも「ルック」と「ルーク」は両方使われることでしょう。

 私はといえば、いい加減な性格なので、その場の状況で適当に変わってしまいます。このホームページは始まったばかりなので、まだどちらで統一するか決まっていません。例えばこのサイトには駒のコレクションの紹介もあるのですが、そこでは日本語の訳語を使ってみました。すなわち、王(キング)、女王(クイーン)、僧正(ビショップ)、騎士(ナイト)、歩兵(ポーン)です。これはチェスを西洋将棋と言っているようなものですが、駒の紹介だからやってみただけのことで、もしも棋譜を扱うようなあったら、やっぱり片仮名を使うことでしょう。
 それでは、この場合の「rook」の日本語訳は何でしょうか。私は「飛車」としてあります。しかし、この流儀に従えば、ビショップが「角」、ナイトが「桂馬」、キングは「玉(王ではなく)」になるはずですよね。つまり「rook」は「城」とすべきではないでしょうか。
 実際、「キャッスリング」は「入城」と訳しますから、「rook」には城という意味もあります。しかしもしも「城」なら「キャッスル」です。そもそも考えてみると、将棋の駒の名前は「玉(王)将」、「飛車」、「角行」、「金将」、「銀将」、「桂馬」、「香車」とあまり日常的に使う言葉ではなく、基本的に将棋専門です。わずかに「歩兵」は軍隊の用語にあるかな。でも、読み方が違う。ところがチェスの場合、「キング」、「クイーン」、「ビショップ」、「ナイト」はすべて英語の普通の単語ですから、訳語も最初から出来ています。しかし「rook」と「pawn」は辞書を調べてもチェスの専門用語で、他に使い道はあまりありません。あっても、チェスの用語から転化したものですから、「pawn」を「手先」と訳すのは変ですよね。
 ということで、「rook」の訳は対応する将棋の駒の名称で「飛車」、「pawn」は「歩兵(ふひょうと読むべきですね)」となるわけです。


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