日本には将棋(「日本将棋」という改まった言い方もありますが、日本語で「将棋」と言ったら、当然このことです)という優れたゲームがあり、書店などで入門書や何かを探すと、将棋のものはかなりあるのですが、チェスのそれはほとんどありません。普及率も将棋の方がずっと高く(もう一つ、囲碁という一大勢力があります)、将棋のプロにはチェスの強い人もいます。
チェスは「西洋将棋」とも言うくらいですから、当然この二つはよく似ています。駒の動きがそれぞれ決まっていて、それでキング(将棋では「玉」)を詰ませることを目的とする。駒もよく似ていて、「歩←→ポーン」、「桂←→ナイト」、「飛←→ルーク」、「角←→ビショップ」、「玉←→キング」と対応付けられるでしょう。ただし、将棋での大駒は飛と角ですが、チェスのルークとビショップは、クイーンがいることとそれぞれ2つあるために、少し格が落ちます。また、金、銀に相当する駒はチェスにはありませんが――。
このようにチェスと将棋は、起源を同じくすることもあって非常に似ていますが、では、どこが違うのでしょう? 将棋の戦法や囲いに相当するものが、チェスで必ずしも応用が効かないのはなぜでしょうか。
これは、将棋は取った駒を打つことが出来るが、チェスはそれが出来ずに使い捨てだと言うことが原因だと思われます。このために、チェスと将棋は全然異なったゲームになります。
まず第一に、取った駒を使えないということは、チェスはどうしても消耗戦になっていき、終盤には駒が残り少なくなってしまうことになります。そのため、盤上にはキングとポーンだけ、と言う場面も珍しくありません。したがって、序盤や中盤では身を守ることに徹しているキングも、終盤では非常に有力な攻撃の駒になります。将棋での分類における「金は守りで銀は攻めの駒」というような分類は成立せず、チェスの駒は攻めにも守りにも重要(というよりは、もっと積極的に、すべての駒が攻めの駒、と言った方がいいかも知れません)な役割を果たします。
将棋の対戦では、いかに終盤とは言え、玉が敵陣に攻め込んで王手詰めに一役買う、などということはまずないでしょう。そんなことをしたら、敵の手駒の格好の餌食です。入玉という戦術はありますが、これだとて攻撃のためではありません。
このため、チェスには矢倉や美濃、穴熊などの囲いのバリエーションがほとんどありません。だいたいはキングがキャッスリングして囲いは終了し、せいぜいポーンの配置とビショップの位置に変化がある程度です。キャッスリングが終了すれば、後は敵の陣形を崩すための攻撃の戦いが続き、キングはいずれは真ん中に出て行かねばなりません。そこまで行かない場合は、きっと大差がついていて、中盤であるにもかかわらず、既に勝負がついている時でしょう。
次に、詰め将棋などでは常套である「捨て駒」という戦法は、非常に慎重に行わねばなりません。これはよほど手筋の先読みに自信がある場合に、満を持して行われるべきです。いや、将棋でもそれはそうでしょうが、例えば単に敵の陣形を崩すだけ、などという場合は、チェスでは捨て駒はまず使えません。相手の駒を取ってとりかえすことが出来ないため、早い段階で駒を失うことは、戦力の直接の弱小化につながります。
これは駒を打てないことと直接には関係ありませんが、チェスの駒は種類が将棋より少なく、しかも単独での能力が結構強いんですよね。桂に相当するナイトも、前に進むだけではなく前後左右にあの動き方をするし、そもそも一枡しか動けない駒がキングとポーンしかありません。つまり、駒一つ当りの戦力としての価値が、将棋よりずっと高いんです。このため、序盤で駒を捨てるということは、たとえポーン一つでもかなりの痛手になります。あくまで捨て駒は、終盤の、最後の最後までとっておくべき作戦です。
とはいうものの、19世紀は捨て駒がよく行われたそうです。相手の陣形を崩すためのものですが、最近では戦力保持の方が重要視され、あまり捨て駒は使われなくなった、と本に書いてありました。
更に、消耗戦を続けていくということは、最後にキングとポーン一つのような局面を向かえることが多くあり、そのためにチェスは、引き分けの方法論が発達しています。キング同士になってしまったら、それはどう考えてもチェックメイトにするのは不可能なわけですから、チェスは将棋より引き分けになりやすく、もともとが消耗戦になっているので、ある意味、駒が足りなくなる状態を最初から目指しているとも言えます。これは取った駒を使える将棋にはありえません。
このためか、チェスと将棋はそれと関係のない部分まで「引き分け」に対する考え方が全然違っています。例えばステイルメイトですが、これは将棋にはありません。「王手を受けていない状態で、すべての駒が動かせない」という状態は将棋ではまずないでしょうが、もしもあったら負けでしょう。また、チェスの千日手は基本的に引き分け(申し出が必要)ですが、将棋では王手の千日手は手を変えなくてはならず、そうでない場合は指し直しです。更に時将棋(双方の玉が相手の陣地に入ってしまい、どちらも詰まなくなること)では、そのときに持っている駒に点数をつけて勝負を決めます。つまり、将棋は引き分けを出来る限り作らないようになっており、チェスは引き分けに寛容なのです。これは西洋人との国民性の違いかも知れません(もしかすると、引き分けを嫌ったから、取った駒を打てるようにしたのでは? とも思えます)。
もちろんチェスにおいても、一番いいのは勝つことです。しかしそれが駄目なら、引き分けという手もありえます。「負けないチェス」という論理は、ここから出て来ます。
さて、「勝つ」とはどういうことでしょうか。当然、チェスも将棋もキングなり玉なりに対する攻撃を成功させることです。しかしチェスにはもう一つ、「相手の戦力を削って、明らかに勝ちであることを証明する」という手があります。例えば、最後の最後になって、一方はキングとポーンのみ、一方はキングとルークという状態なら、よほどのことがない限り後者の勝ちです。これは何もチェックメイトにしなくてもわかりきっています(とはいえ、あくまで可能性が非常に高いだけなのですが)。したがって、このような状態を作り出せば、キングへの攻撃が完了していなくても、大抵は相手が負けを認めて投了します。負けを認めない場合は――前述のように、引き分けを目指します。
これもチェスが消耗戦だから出来ることであって、将棋で一方がそこまで戦力を失っているとしたら、それはやはり、あまりにも棋力に差がありすぎる時でしょう。すなわち、そんな事態が来る前に、玉は詰んでいるはずです。
また、最近気がついたのですが、桂馬は使い方次第でどんな堅い陣形も敗れます。駒を飛び越すことが出来、合い駒が利かないからです。
チェスでこれに相当するのはもちろんナイトですが、問題はナイトは打って使うことが出来ないので、その場所まで移動しなくてはならないことです。これがために歯痒い思いをした人は、何人もいらっしゃるのではないでしょうか。「あの場所にあの駒がいければなあ」と思いながらも、そこに移動する手段がないためにどうしようもないという局面が――。
同様に、ビショップがずっと同じ色のマスしか動けないのも、取った駒が使えないからです。将棋の飛車と角が同等くらいの力を持つのに対して、チェスのルークとビショップは価値に大きな差があり、展開の順番がはっきりしているのも、ビショップの、この欠点のためですよね。
その他、合い駒を使うにも打つことは出来ないわけですから、将棋に比べて制限があるとか、取った駒を使えないというだけで、さまざまな違いが出ます。ということで、チェスと将棋は似てはいるが、やはり全然違うゲームであると考えるべきだと思います。この二つで応用が効くのは、盤にある駒を眺めて、それを実際に動かさずにああだこうだと考える力、せいぜいこの部分ではないでしょうか。もちろんこれだけでも大変に重要な共通点ですので、一方の名人はもう一つも出来るはずです。しかし、基本的な勉強は、やはり改めてやり直さなくてはならないでしょう。