デューン・アウトサイド・ストーリー

砂塵の中の細菌たち

    高瀬興一


     ユダヤ王は、決して情熱に左右されてはならぬ。(中略)ダビデの聖胤を継ぐ世界支配者は、人民と人類の福祉の為めに、あらゆる個人的喜楽を犠牲に供さなければならぬ。我が世界支配者には、道義上一点の弱点もあってはならぬ。彼は万人の輝かしき亀鑑たらねばならぬからだ。
      ――古代の民族の秘密議定書、最終条項より抜粋。

 宇宙船は、動力部分に重大な損傷は受けていたものの、なんとかかろうじて逃走することに成功していた。それでも、あぶら汗を浮かべたココアーノの脳裏には、一定の距離を保って追ってくる〈神皇帝の狼〉の群れが、近くの恒星の輝きよりも確かな光点として存在していた。ココアーノは固く閉じていた眼を開いた。船は辺境聖域を突破しつつある――少なくとも、ココアーノにとっては未知の、恐怖の対象でしかない無限の空間へと。
 〈神皇帝の狼〉が吠えた。船が被弾のショックに激しく揺れた。母親の胸に抱かれた生後十日のヤクシーの泣き声が船内の空間を切り裂いた。
 ココアーノの意識野に未知の島宇宙が拡がった。彼は絶叫し、船の速度は限りなく高速に近づいた。
 ココアーノの船の位置を算定できなくなった追跡者たちは一斉に帰投していった。

 (勇敢な者たちだ――生まれたばかりの彼らの子――それは立派なクリスナイフとなるだろう)
 温かく沸いてきた述懐を頭を振って追い払うと、レト2世は眼を開いた。白い午後の日ざしの中、アラキスの大地は静まりかえっていた。だれか農民ででも歌っているのだろうか、眠けをもよおすような歌が空気に漂っていた。その単調なしらべが、神皇帝に往くべき時を告げた。彼は侍従長のヌーンティオを呼ぶと、郊外の砂漠地帯へ”散歩”に出かけてくるとのみ云った。 「――ダンカンから、逃亡者の追跡に失敗したという報告が入っておりますが、いかがはからいましょうか」
 ヌーンティオにとって、すでに理解を絶した半神的ともいえる姿――下腹部から尾部にかけて異様にふくれあがったその体は、一万数千年前に人類の文明圏にはやった叙事詩に登場するサソリ人間そっくりだった――をした彼の神皇帝は、ひどく物憂い口調でその問いに答えた。
 「放っておけ。そう伝えるように――」
 ダンカンはまたいきり立つだろう、と侍従長は思ったが、無言で彼の神皇帝の”散歩”を見送った。フィッシュ・スピーカーも、ひとりとして同行を許されなかった。

 (きっと、体がそれを要求するんだろう)
 ヌーンティオはひとりごち、彼の神皇帝という、ヌーンティオに云わせれば”哀れで偉大な”存在に静かに思いをはせた。
 (ここは……いったいどこだ?)
 未踏の惑星。それは確かな事だった。だが、スクリーンの外に広がる外の風景は、ココアーノはじめ神皇帝のくびきを逃れてきた三家族、十人のひとびとを混乱させるに充分だった。デューン? いや、違う。ここは領土外だ。しかしこの地平線まで続く砂の海は……アラキス。デューン。その風景は口誦歴史によって宇宙あまねく伝えられている。しかしデューンは古い昔の事、現在のアラキスは一部の砂漠地帯を除いて静かな農地がひろがる緑の惑星であるという。だが眼前のこの世界は。宇宙にはデューンが二つ在るのだろうか? これであの砂の海に砂虫でも出れば……ココアーノはその時、身内に奇妙な震えを感じた。その震えが、彼の心に叫んだ――その大気、その大地! ココアーノは急いで外の空気の成分を調べた。ショックで、彼の心は揺れた。”クル・ワハッド!”次に外の砂を採取し、分析した。もはや間違いなかった。この惑星は、デューンではない。デューン以上のものだ。
 ココアーノは他の家族たちに告げた。
 「みんな、落ち着いてきいてくれ。――あそこに見える砂の海は、すべて、スパイスエッセンスだ。大気は、スパイスの包み、メランジの香りで満ちている。われわれは、星一個分の財宝の中にいる。――もう、神皇帝にも、協会にも頭を下げる必要は無い。俺たちは自らの宇宙を手に入れたのだ」

 一瞬の沈黙が、すぐに火山の爆発にも似た歓声の渦に取って代わった。幼いヤクシーの母親は涙にぬれたほほを赤子のほほにすりつけた。ヤクシーの目は生き生きとしていた。そのよく動く赤子の目は白目無しの青の中の青だった。ココアーノは騒ぎをよそに、この知らせを宇宙のどこかへ発信すべきかどうか考えこんでいた。狼が来るか、シャダウトが来るか……まあいい、ココアーノは肚を決めた――発信するだけでいい、それだけで、コリオリスの嵐は起きる!
 通信機に手を伸ばした時、凄じい破壊音が船内を満たした。船体が一気に引き裂かれ、スパイスの強烈な風が吹きこんで船内空気を追い払った。怒号と悲鳴が交錯し、何かがちぎれるいやな音がそれに続いた。一瞬硬直したココアーノの背中に、赤子の泣き声が叩きつけられた。ゆつくりと振り返った彼の目に、八つの死体と、その前に立つ、右手のひとさし指と親指で赤子の首をつまんでぶらさげた神皇帝の姿がうつった。ココアーノはうめいた。
 「ウォー…………ム!」
 赤子の首がちぎれ、床に転がった。ココアーノは通信機に飛びつくと、力の限り叫んだ。だれかきいているか? きいてくれ、この宇宙には――
 神皇帝の手刀がココアーノのぶ厚い体を斬り裂いた。

 (私は補食者だ)
 アラキスの地上に出て砂漠地帯を歩きながら、レト2世はいつもの想念にとらわれていた。久しぶりのメランジと砂の感触に、体組織がよろこんではねまわっている。足の裏に砂を感じつつ、神皇帝は全宇宙をその心に感じていた。島宇宙の無限のきらめきが彼の視界を埋めた。これもまた、いつもの事だった。
 (そうだ、わたしもまた……今摘みとった因子たちと同じ――この砂粒の中にひそむ、バクテリオファージのひとつなのだ)
 しかしそう想ってみた所で、どうなるものでもなかった。レトは今も、彼と同じくらい、いやその一万倍以上も永く生きる生命のうごめきをいくつも、いくつもきらめきの中に感じていた。彼らが存在する限り、いやさせられている限り、レト自身も走り続ける事ができるのだ――夢の中に溶ける、その刻まで。やがて神皇帝は大またで、彼を待つひとびとのいる祭礼都市へと急いでいった。

    B・G・M
    ”NAWATOBI”
    By.HAKO YAMAZAKI.


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