ホラーに関する私見
ホラーについてはちょっと書いておきたいことがある。と言うのは、これから私が述べることはもしかするとすでに語り尽くされているのかも知れない。だが、私自身はインターネットや本などでこの点についてまともに書かれているのを見たことがなく、だとするとこれを自分なりにもまとめておくのは無駄ではあるまいと思われるからだ。これは「ホラー(小説、漫画、特に映画)」というものに関して一般に広まっている誤解、あるいは評価についての疑問から生まれたものである。すなわち、なぜホラーはマニア向けの特殊なジャンルになってしまったのか、また、どうしてその「マニア」と呼ばれる側からのまともな回答もなされていないのか、に対する私なりの答でもある。
前提
最初に断っておきたいのだが、如何なる問題においても「例外」というものは常に考えに入れねばならない。これからここに書くことについて、「そうでない場合」としての例外的作品、状況などが提示された場合、私の答は「そういうものも有り得る」としか答えようがない。すなわち、私が述べるのは単なる一般論であって、そうなっていないものがあってもそれは仕方がないことだ。
ただし、もしも私のいうことが「一般論として間違っている」との指摘があり、それが正しいと思われる場合は、もちろん考えを改めねばならない。その点はやぶさかではない。「一般論」というものもまた、それなりに注意を要する言葉なのではあると認めたとしても、だ。
定義、あるいは概念
ホラーとは何か。
この問題に答える前に、「ホラー」というのが一般に単独で使用される単語でないことを指摘しておく必要がある。すなわちホラーとは、あるタイプの小説、映画、漫画などのことである。ここで一般的でない使い方を探しておけば、「ホラー音楽」、「ホラー絵画」、「ホラー料理」、「ホラー建築(遊園地のお化け屋敷は、もちろんこれではない)」などがあまり馴染がない言葉だとすぐにわかるであろう。つまり、ホラーとは、少なくとも何らかのストーリーもしくは「物語性」を必要とするものであることがわかる。そこで、小説、映画、漫画などを総称して「物語」と言い換えることにしよう。
ではホラーとはいかなる「物語」なのか。「怖い物語」。非常に簡単であるが、当たっていない。父親に怒られたり、借金が返せなくて首を吊る羽目になるのは怖いだろうが、これはホラーにはならない。しかし「超自然の怖さ」は必ずしも必要でないことがわかる(必要だと言う人もいるが、ここでは採らない)。ダリオ・アルジェントの推理物やアンブローズ・ビアースの小説の一部は、超自然の怪奇は扱わなくても充分にホラーである。となると、「未知なるものに対する恐怖」というのが一番当たっていると思う。では、「未知なるものへの恐怖を扱う物語」とすればよいのだろうか。これに対する答こそが、この小文で一番言いたいことである。
物語、特に大衆文学の文法
さて、映画、小説、漫画などの物語性を持つメディアにとっての最大の賛辞は何か。議論の余地はほとんどなく、「面白い」である。少なくとも大衆メディアではそうだ。「感動した」とか「笑えた」とか言う賛辞はあれど、「つまらなかった」と言われればほとんどそれは帳消しになる。「つまらないが感動する」というのはそもそも語義的に矛盾していそうだし、「つまらないが笑える」という場合は、往々にして作者は笑わせるつもりはなく(笑われたのは映画そのものではなく、作者だ)、賛辞ではない。
すなわちホラーと言えどもこの「面白い」という賛辞は絶対であり、仮に怖がらせるのに失敗しても、面白ければそれなりに価値はある。では、「面白い」とは何か。
ここで「面白さ」の本質を語るのは、私の手に余る。ただ、一応自分でも小説を書く身として、大衆文学の書き方の基本くらいは知っているつもりだ。大衆娯楽の物語の作り方は一つしかない。「主人公が何かの問題を抱え、それを解決していく過程を描くこと」である。昔から名作だと言われる作品のほとんどはこの形式を採っているし、ホラーであっても例外ではない。すなわちホラーとは、一般に「未知なる恐怖に出会った主人公が、何らかの形でそれを克服する過程を描く物語」として成立している。この「克服する(=解決する)」の方法は様々だが(怪物を退治してもいいし、逃げ切ってもいい)――。
実は、冒頭に書いた「インターネットや本などでこの点についてまともに書かれているのを見たことがな」いと言うのは、この点についてなのである。ホラーと言えども物語であるからには大衆文学の文法を持ち、それは「主人公による問題の解決」を中心とする。したがって、ほとんどの場合、ホラーとは「怖さ」を書くのではなく「怖さとの戦い」を描く。通常、主人公の抱えた問題は大きいほど物語の起伏は激しくなるから、相手は怖くて強いほど良い。そしてその「解決」とは、見ている側が主人公に感情移入して共に過程を追体験するものである限り、主人公がまるで知らなかった方法では興を削いでしまう。だから名作と言われるホラーの場合、だいたいは怪物にも何らかの弱点があり、主人公はその弱点を最初から知っており、どのようにしてそれを利用するか(あるいは、そもそも弱点探しそのもの)に主眼が置かれている。ここでもまた、大衆文学の文法はきちんと普遍性を保たれているのだ。
因果話
さて、上の節を単純にまとめると、ホラーとは「怪物(姿なき殺人者なども含む)退治」の物語である、と括られてしまうかも知れない。事実、かなりの名作がそうなっているのだが、もちろんそうではないものもある。「四谷怪談」や「番町皿屋敷」などの因果話がその代表だ。では、これらでは大衆文学の文法は保たれないのか。もちろんそうではない。
そもそも因果話とは、教訓話である。すなわち、「悪いことをすると、こんなに怖い目にあうぞ」ということなのだが、見ている側として感情移入をするのは誰であろうか。「四谷怪談」では田宮伊右衛門か? よく考えると、大部分の人が始めに感情移入するのは、むしろお岩ではないかと思われる。すなわち、「悪人が幽霊によって怖い目にあい自滅する」というのは、それこそが勧善懲悪による問題の解決であって、少なくとも悪人に同情し、「悪だくみが成立しなくて残念」と取る人はかなりの変人だと思うのだが。
問題解決とはそれ自体があるカタルシスを伴うべきものだが(だから私は、せっかく幸せになれそうな主人公が最後に不幸になることで終わってしまう「一本足の錫の兵隊」などは、愚作だと思っている)、因果話は悪人が恐怖を感じることでそれを実現する。すなわち、別に例外ではないことになる。
歴史は詳しく知らないのだが――マニア向けについて
ホラーというものは、それがそう呼ばれる前から、怪談とか怪奇物とか名づけられて、メディアの歴史とともに存在してきた。その人気は、かなりの普遍性を獲得してきている。しかも、ジャンルの発生から今に至るまで、あまりその本質は変わっていないように思える。要するに主人公が怖い目にあって、それを解決する話だ。特撮が進歩して表現が直接的になっても、それは変わっていない。一部のホラーがマニアのものになり出したのは、最近のことではないだろうか。
考えてみると、ホラーまたはその周辺に「食人族」だとか「ギニーピッグ」だとかの、上に述べた大衆文学の文法に外れる作品が現れだしてから、このジャンルがマニアのものに押し込められだしたのではないかなあ。「ギニーピッグ」のシリーズ(特に1と2)などはその代表で、これらにはストーリーがまったくと言っていいほどない。要するに、残酷で気持ちの悪いシーンをリアルに撮っただけである。ただし、これは別に批判ではない。なぜなら、作者たちの側にも最初からそれを目指した感があるからだ。
ただ、個人的な感想を言えば、これらの怪物退治や因果話から外れた作品(他に、「ネクロマンティック」なんてものもあったな)に対して一般に言われている「気持ち悪い」、「残酷で見ていられない」などの批判はもちろん当たっているとしても、もっと重要なことがあるような気がする。それは一言、「つまらない」である。
そう、残酷さ、気味悪さ、悪趣味だけを売りにした映画はつまらない。つまらないからには、大衆物としては失敗である。ホラーに「面白い物語」以外のものを期待するマニアででもなければ、目に付くのは上のようなマイナス要因ばかりだ。
ということは
つまりは、ホラーだって普通の大衆娯楽の一つに過ぎないと言いたかったのだ(もう一度言うが、この文は例外は対象にしていない)。その基本における評価基準は、要するに面白いかつまらないか。まずはそれが先決である。そして、エンターテインメントであるからには、それは物語性を大切にしなくてはならないし、その指針は古典の昔から変わっていない。
実は、こと「価値観」という観点から言えば、ホラーはもっとも普遍的な価値観に則ったジャンルである。スポーツ物、恋愛物、業界物、何でもいいのだが、それらに登場する主人公たちの抱えている「スポーツ選手として大成したい」とか「金をバカスカ儲けたい」とかの問題に比べれば、「怖いものに狙われているから助かりたい」という願望は、誰でも共感できるのではないか。何せ、命の問題である。「何でまた、この主人公はこんなにデザイナーになりたがってるんだ?」と言う人はいるかも知れないが、「何でこんなにこの主人公は、命が惜しいんだ?」と思う人は、やはりそちらこそ変わっているといわれても仕方ない。このジャンルがメディアの中で普遍性を保ってきたのは、それがそもそも、誰でも共感出来る価値観に沿っているからだと言えば、考え過ぎだろうか。
私はホラーは好きだと思う。しかし、別に怖いホラーが好きなのではない。面白いホラーが好きなのだ。要はそういうことである。
(宇宙暦35年8月6日)
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