浜の真砂は尽きるとも


 「何か言い残すことは?」
 黒い服の神父が言った。たずねられた男は、何やらゴテゴテと電線類の引っ張られた椅子の上で、わざとらしいふてぶてしさを見せて答えた。
 「いや……何もない」
 「ふむ――」
 神父は一瞬肩をすくめてから、それでも重々しくうなづくと、そばの男に目配せをした。男はポケットから懐中時計を取り出して、チラリと時刻を確かめると、おごそかな声でこう宣言した。
 「では、一九九×年三月二五日午後三時十分。殺人犯G――の死刑を執行いたします」
 とたんに、今までふてくされていた死刑囚の体が、椅子の上でピクリと痙攣する。精一杯すごんではいたものの、さすがに「その時」が来たのだという事実が、彼の神経に堪えたらしい。やがて、「やれ――」という執行人の声とともに、ナイフ型のスイッチがガシャッと落とされた。同時に壁の電圧計の針がさっと振り切れ、数万ヴォルトの電流が一気に椅子に流れ込んだ。
 ところが――。
 「はてな?」
 そうつぶやいたのは、他ならぬ死刑囚自身であった。十秒たち、二十秒たっても、いっこうに魂が体を離れていく気配が感じられないのだ。
 「変ですね」
 不審に思った看守の一人が、彼に手を伸ばす。どうやら機械の故障らしい。
 「接触でも悪いのかな」
 しかし、実はそうではなかったのだ。なぜなら死刑囚に手をかけたとたん、その看守は自らが一瞬にして感電死してしまったのだから。
 「ぎゃあっ」
 「大変だ」
 部屋にいる者たちは、ばたばたと一斉にその看守に駆け寄った。そして執行人や神父が騒ぎ出す中、罪人一人だけがキョトンとその場の情景を見つめていた。

 同じころ、世界中の至るところで死刑執行の失敗、あるいは狙撃されたゲリラが死ななかっただの、重病の汚職代議士が生き返っただのの報告が入り出していた。世の中で「悪人」と認められている者、陰でこっそり悪事を働いている者、これから悪いことをしようとしている者などが、こぞって死ななくなってしまったのである。
 「何だなんだ。いったい何があったんだ」
 科学者たちは慌てて原因究明に乗り出した。どういうわけだか善人だけは相変わらず死に続けていたし、これでは地球は遠からず悪人の星になってしまう。未知の薬のせいか、はたまた宇宙から来た放射線が原因か、それはまったくわからないが、とにかくなんとかしなければ、世界は罪人であふれかえってしまうだろう。もはや死刑廃止を唱える者など、一人もいなくなってしまった。
 しかし、科学者の懸命の努力にもかかわらず、事態の解明はまったくできないのだった。なんだかわからない理由で悪人は死ななくなり、善人だけがばたばたと死んでいく。学者の調査が失敗に終わると世間には次第に悪人が増え始め、やがて今まで善人だった人々までもが悪事に走り出した。

 閻魔大王は今、一人深々とため息をついている。あちこちから鬼どもが持ってくる報告を聞くたび、絶望的な心境になってくるのである。このままでは――いつか、地上までもが「地獄」になってしまうだろう。
 「やはり、最初の見積もりが甘かったのか」
 人間が地獄の存在を信じなくなってから、どのくらいになるのだろうか。とにかく死んでから極楽に行く者はめっきり減ってしまい、誰もかれもが地獄に来るようになった。おかげでここの収容能力はもはや限界に達し、悪人は冥府から締め出さざるをえなくなってしまったのである。おそらく地上は今頃、悪いやつらでひしめきあっているにちがいない。どれもこれも、最初に地獄を作ったとき、必要規模を過小評価したのが原因だ。
 閻魔大王はもう一度ため息をつくと、一人呆れはてたようにつぶやいた。
 「まったく――これからいったい、世界はどうなっていくんだろうなあ」


図書室に戻る