妖精を探す男

The Adventure of Unidentified Elf


    ――「世の中は広いのだ。幽霊まで相手にしてはいられない」
      『吸血鬼』(延原謙訳)
 「アーサー?」
 客の名を聞いて、エルシは首をかしげた。
 「そんな人、知らないわ。何かの間違いじゃないのかしら」
 「でも、なんだかえらい有名な人らしいぞ。いま外のポーチに立っとるけどな。なんでも、前におまえに本を送ったとか言っていた」
 父親は面妖な顔をして、娘の顔をのぞきみた。村職人の彼には、どうして娘の所に、そのような有名な人物が訪ねてきたのか、どうにもはかりかねるようだった。エルシは自分の記憶を探った。
 「本……」
 こんな片田舎にはめったに郵便物などやってこない。書物となればなおさらだ。では本というのは、あれのことなのか。
 「ほら、あの、何と言ったかな。スト――スト――」
 「ストランド・マガジン?」
 「それそれ、その本だよ。俺はおまえみたいに学がないからな。本の名前なんぞ言われても、なんにもわからん。とにかく、そう言えば通じると言っていた」
 「やっぱり」
 では、あの人が来たのだ。
 「わかったわ、父さん。下の部屋にお連れしてちょうだい」
 確かに二、三週間前、その雑誌がエルシのもとに送られてきたことがある。同封されていた手紙と差出人を見て、エルシは何かの間違いではないかと思った。執筆者の中で一番有名な人物が、どういうわけか自分に会いたいというのである。その人物は本と一緒に手紙を同封してきており、それには「とにかく一度あなたにお目にかかりたい」とあった。
 エルシはいま十七歳。学校を出てから、このコッティングリーの村にあるクリスマス・カードの印刷屋で働いている。背はすらりと高く、年の割には大人びて見られるようだ。髪はくせのある赤毛だが、別に気にはしていない。小さいころから従姉妹のフランシスと一緒に近くの森の中で遊んでいたため、これといった病気もせずにまあまあ健康に育ってきた。悩みといえば、幼いころに遊びで撮った写真のために、ときどき見知らぬ客の訪問を受けることである。例えば今日のように。
 階下に行ってみると、その高名な客はきちんと木の椅子に腰掛けていた。年のころはだいたい六十五、六というところだろうか。恰幅のいい体に、いかにも温和そうな顔がのっかっている。着ている物はごく上等の品ばかりで、いかにも裕福そうだ。どう見ても、こんな村外れの掘っ立て小屋に来るような人物ではない。太い唇の上ににたくわえた口髭は彼のどうどうとした様子によく似合っているが、同時にエルシは、彼の書いた小説に出てくる医者も同じような髭をはやしていたことを思い出した。
 客はエルシを見ると、あわてて立ち上がった。そして、太い腕を差し出して彼女に握手を求めた。
 「エルシ・ライトさんですね。始めまして。私が――」
 「わかっております。あたしだって本ぐらい読みますから。でも、あなたのように有名な方がこのような問題に首を突っ込まれるとは、いったいどうしたわけなのでございましょう。ましてや、そのためにこんな田舎にやっていらっしゃるとは」
 「いや、なに、私がいま研究していることに、どうやら関係がありそうだからですよ。私が現在何に興味を持っているかは、送っておいた本に書いた記事でわかると思いますが、それであなたのお話を聞きたいと考えまして」
 「はい、確かにその記事は拝見いたしました。御本をどうもありがとうございます。でずが、はっきり申しまして迷惑ですわ。あれはあたしの小さいころの出来事ですから、今となっては手のとどかない物になってしまいました。あたしには、事の真偽を証明する手だても野心もありません。どうかそっとしておいて下さいまし」
 「そうはいきません。あれはすでに、あなただけの問題ではなくなってしまったのですから。あなたの証言を信じたばかりに、私は自分の名誉までも危うくしかけています。友人のバリなんぞは、口も聞いてくれません。自分でも『ピーター・パン』などという本を書いているのにね。とにかく、とことん事実を突き止めないことには、私の気がおさまらないのですよ」
 エルシはため息をついた。もともと、この男が勝手に首を突っ込んだのではないか。そんな気まぐれに、自分までつきあわされるとは。これも、あんな写真を撮ったばちがあたったのだろうか。こんなことなら黙っていればよかった。
 「わかりました。しかたありませんわね。有名な探偵小説作家のあなたを信じさせたのだから、あたしの話もまんざらでもないのでしょう。どうぞ、おすわりください」
 客はいわれるままに席についた。エルシは台所に行って、母親に紅茶を出してくれるよう頼んだ。戻ってくると、客は木の椅子の上で手を組んで、左右の親指を突き合わせているところである。その動作もまた、彼の小説に出てくる人物とそっくりだ。エルシはそう思いながら、客の前にすわった。
 「それで、どのようなことをお話しすればよろしいんですの」
 「もちろん、あの写真の真偽についてです。ですが、その前に一言ことわっておきたいのですが」
 「どうぞ、どうぞ」
 「今あなたは、私のことを探偵小説作家とおっしゃいましたが、私は歴史小説家です。今までもそうでしたし、これからもそうありたいと願っています。私はこの訪問のことを小説に書くかも知れませんが、それにはあくまで歴史の記録人としてです。あの莫迦らしい一連のシリーズとは無関係にね。どうか、そのことは忘れないで下さい」
 「あら、だってシャー――」
 「しっ。その名前は禁句です。私はあいつを憎んでいるんですよ。あいつは作者の私以上に有名になってしまった。自分よりも実在感のある怪物を作ってしまったなんて、まったく莫迦々々しい話だ」
 エルシは、この人物に関して言われていることは、なるほど真実だと思った。噂では、彼は自作のうちでもっとも人口に膾炙した作品を嫌っているということである。そして、誰も認めることのない、愚にもつかない歴史小説ばかりを売りたがっているのだ。
 「あんな下らない小説に何十年もかかわっていたなんて、実によけいなエネルギーでしたよ。これからはもっとましな物に専念したいと思いますがね。さあ、それではいいかげんにその話はやめて、本題に入りましょうか」
 おやおや、ここを訪ねてきたその理由のほうが、あの小説よりもりっぱだというのかしら。エルシは心の中でそう思ったが、客はそんなエルシの戸惑いとは無関係に、勝手に自分の話を始めた。
 「手紙にも書いておきましたから、率直に言いましょう。これは私が『ライト』のガウ編集長を通じて手に入れた品ですが、あなたが撮影者だと聞きました。私が知りたいことは一つしかありません。いったい、これは本物なのかトリックなのか、どちらなのでしょう」
 彼はポケットから茶色い封筒を出してエルシに渡した。彼女が中を探ってみると、一枚の奇妙な写真が出てきた。
 森の中で撮った物なのだろう、一面に木や草が写っている。なんだか薄暗くもやがかかっていて、決して見やすい画像ではない。背景には滝も見えるが、最初に見た人の目を引くのはそれらのありふれた風景ではなかった。
 それは、真ん中に小さく写っている白い少女のような影であった。少女はこちらを向いてにっこりと笑っており、その手には細い杖のような棒を握っている。まるでパヴロワのチュチュのような薄物をまとっているが、奇妙なのは、その背中に何か羽根みたいな物が生えていることだった。ちょうど花にとまったアゲハチョウのように。
 九年前にエルシが撮った写真である。
 「本物です、と答えたらどうなさるおつもりですか」
 エルシは顔を上げて言った。
 「少なくとも、あたしとしてはそういう風に言うしかありません。あとはそちらで判断していただくだけです」
 「おお、もちろんそうですとも。ただ、私はとにかくあなたのお話が聞きたかったのですよ。バリにせよ、ガードナーにせよ、私の仲間は誰もみなこの写真をトリックだと言います。この妖精という不思議な生き物の存在を信じているのは、私を含めて数名にすぎません。写真の鑑定家もどちらとも言えないというし。だから、私はあなたに賭けたのです。これを撮った女性の人格にね」
 「では、あたしが何か言ったら、それを証拠もなしに信じていただけると」
 「はい、もともと私はあなたの証言にかかわらず、これは本物だと思っていましたから。ただ、他人を信じさせるのにはもう少し、何かが必要なわけでして」
 エルシはしばらくの間、黙っていた。やがて、母親が紅茶とクッキーを乗せた盆を持って入ってきた。
 「エルシ、これをお客様に」
 「はい、母さん」
 エルシは盆を受け取ると、そばの丸テーブルの上にカップや皿を手際良く並べていった。母親が客に挨拶をした。
 「はじめまして。エルシの母親でございます。こんな何にもないところにわざわざいらしていただいて、どうもありがとうございます。それでは、あなたがあの有名な――」
 「はあ。確かに、私がちょっとは世間に知られているのは事実でしょうね」
 「ええ、ええ、御本はいつも拝見しております。主人はあのような無骨物でめったに小説など読みませんが、わたしとエルシはねえ。それで、この次の連載はいつ始まるのでしょうか」
 「それは、あのろくでもない探偵と医者の記録のことですか」
 「まあ、そんなことはありませんわ。わたしたち、いつもあの人のお話を読むのを楽しみにしておりますのよ」
 「はてさて、あなたもですか。なんで誰もが私の一番の駄作をほめるんだろう。いえいえ、私は少なくとも自分の名が売れる原因になったあの小説については、忘れようと思っているのですよ。さっきもエルシさんにそう言ったところですがね。ああ、どうもありがとうございます。あとは自分で勝手にやりますから」
 母親が仏頂面で台所に姿を消すと、彼はふたたび話の続きにかかった。
 「とにかく、これをどういう経緯で撮影なさったのか、そのことからお聞かせ願えませんか」
 「はあ」
 エルシは気のない返事をしながら、窓の外に目を移した。家を囲んでいる森の木の枝の上で、一羽の小鳥がさえずっている。そろそろ春なのだ。さて、それではどこから話そうか。
 「それは、あたしが八つの時に撮った写真です。従姉妹のフランシスと一緒に森に入って行ったあたしは、いつもの場所で木の実を集めようとしていました。そのときに、その妖精が現れたのです」
 その日、エルシとフランシスはちょっとした痴話喧嘩をしていた。原因はちっとも覚えていない。どうせ、ささいなことだったのだろう。ただ、完全に絶交してしまっては互いに一緒にいる相手に困ってしまうので、二人とも暗黙のうちに口を聞かないと決めたまま、並んで森に入って行った。その日の森はいつになく霧が深く、じっとりと湿っていたことを覚えている。
 さて、言葉をかわせないとなれば、できることは限られてくる。エルシはフランシスとはやや離れたところで、木の実を拾い始めた。それでどうするというわけではなかったが、他にすることもなかったのである。事件はそのときに起こった。
 「急にフランシスが悲鳴を上げたのです。あたしはフランシスには背中を向けていましたが、それを聞いたとたんに集めていた木の実なぞ放り出して、フランシスのところにかけつけました」
 フランシスは腰を抜かして、杉の木の根元にひっくりかえっていた。エルシが駆け寄ると、彼女は右手を上げて何やら空間の一点を指さした。エルシは首をかしげた。
 「何? どうかしたの。いったい何があったというの」
 「あ、あれあれ」
 「えっ、えっ?」
 エルシは見た。フランシスの指さした空間に、何やら銀色に光る物が浮いているのを。それは蝶のようにひらひらと辺りを飛び回り、森の中に銀の粉を撒き散らしていた。
 妖精であった。
 「それはその写真に写っているのとは別の妖精でした。そのときのは、もっとこましゃくれた顔をしていたように思います。彼女は最初のうちあたしたちの出現に戸惑っているみたいでしたが、やがてそばの木の枝の上にとまりました」
 妖精は口を聞かなかった。あとでわかったことだが、発生器官を持たないのである。話し掛けて来る代わりに、彼女は注意深く二人の顔をのぞきこんだ。
 先に行動を起こしたのはエルシのほうだった。エルシはいつも小鳥を相手にするときにやるように、右手のひらを差し出した。妖精はつっと飛び上がると、おびえるようすもなくそこに乗った。
 「向こうからはなにも言ってきませんが、やはり何か声をかけるべきだと思いました。そこであたしは、『おはよう』と挨拶をしてみたのです。でもだめでした」
 エルシの言葉に、妖精はぽかんと口を開けた。言語という概念を持たない彼女達にとって、今の無意味な音響はどうやら理解の外にあるらしかった。
 そのころにはフランシスも初めの衝撃から立ち直っていた。八歳の少女の感性は、ありうべからざる出来事も、容易に自己の中に取り込んでしまう。彼女は横からエルシの手の上をのぞいた。
 「どうしよう。言葉が通じないらしいわ」
 「英語じゃだめなんじゃない。でもルーン文字なんか知らないし」
 「あら、あれはお話の中だけのことよ。これは『本物の』妖精なのよ」
 妖精は意外に目方があった。エルシはこのような魔法の種族はもっと軽いものかと思っていたが、実際に手のひらに乗っかっているそれは、重さの故にかえって実在感がある。見かけこそ絵本に描かれているそのままだったが、小さく呼吸をしている姿は、これもまたエルシたちと同じく、現実的な「生物」であることを示していた。
 「そうだ、あなた何かお菓子を持っていない?」
 エルシはフランシスにたずねてみた。フランシスはエプロンのポケットを探って、赤いセロファンに包まれたキャンディを取り出した。
 「紙をむいて」
 言われるままにフランシスは包み紙をはずす。エルシはあいているほうの手でそれを受け取ると、黙って妖精のほうに差し出した。妖精はしばらくキャンディを調べていたが、やがて首を延ばしてなめはじめた。
 二人は顔を見合わせてにっこりとした。
 「それからあたしたちは、しばらくその妖精と遊んだのです。お昼になってごはんの時間が来るまで、あたしとフランシスは妖精を追い掛けてすごしました。妖精はすばしこく動き回り、あたしたちの手の上をつ、つ、と逃げていきます。決してつかまることはありませんでしたが、あたしたちが疲れてすわりこむと、降りてきてどちらかの肩にとまりました」
 客は注意深くエルシの話に耳を傾けた。目を閉じて手を組み合わせたさまは、まるで眠っているように見えたが、それが彼の聞き方だということは、エルシにはよくわかっていた。
 「どうぞ、お続け下さい」
 客はぼそりと言った。エルシはふたたび語り始めた。
 「やがてお昼になりました。二人ともお腹がすいてしまったので、家に帰らねばなりません。でも、妖精と別れるのはとてもつまらなく思えたので、なんとかして次の日もここで会えるように約束をしたいと考えました」
 しかし、いったいどうすればよいのだろう。言葉が通じないのではどうしようもない。二人が困っていると、意外なことに妖精のほうから解決策が出された。
 「きっと向こうでもあたしたちに再会したいと思ってたんでしょうね。妖精はさっと手を空中に延ばすと、どうやったのか一本の杖を出しました。そうですね、今その写真に写っているのとそっくりの物です」
 言われて客は目を開いた。そして、体を乗り出してテーブルの上の写真に視線を落とした。
 「最初、あたしたちは彼女の意図をはかりかねていました。でも、すぐに何が言いたいのかがわかりました。彼女はあたしの手の上にその杖を乗せると、空中を指さして何かを投げるまねをしたのです……」
 「どういうことなのかしら」
 フランシスが言った。エルシはちょっと考えてから、その杖を握って今の妖精と同じように、空中に投げるまねをした。妖精は小さな首をコクンとかたむけてうなずいた。
 「わかったわ。あしたここに来て、これを投げろというのよ」
 妖精はさっと飛び上がると、目にも止まらぬ速さで森の奥に消えてしまった。二人はそのあとをぽかんと見送ったが、あとには手のひらに乗っかるくらいの針のような杖が残った。
 「次の日、あたしたちは言われたとおりに森に入り、杖を放り投げてみました。妖精のいったことは本当でした。こんどはきのうの一人だけではなく、もっとたくさんのいろとりどりのエルフたちが現れたのです」
 妖精は必ずしも美しい者ばかりではなかった。いじわるそうな顔をしたものや、どうみても貧乏人と言った風情のもの、あるいは老人の妖精など、あまり好ましからざるかっこうのエルフも姿を見せていた。それらが、きのうの少女のエルフと一緒になって、二人のまわりを飛び回っている。きのうの妖精が身振りでみんなを紹介すると、二人はすぐに彼らと打ち解けた。
 「それから毎日森に通っているうち、あたしたちがエルフのすべてと顔見知りになるのに、一週間とかかりませんでした。あたしたちは来る日も来る日も、その小さな友人達と遊んだのです。とくにこの写真に写っている滝のそばが、彼らのお気に入りの場所でした」
 エルシとフランシスが見るかぎり、妖精の世界は横社会であったようだ。彼らと彼女らの間には階級らしきものはなく、誰もが平等にふるまっていた。言葉をかわさない意志疎通のためくわしいことはわからないが、そもそも階級を産むための「経済構造」だの「雇用制度」だの、そういった人間的な感覚を持たないのだから、これは当たり前である。単なる職人を父としたエルシは、それを非常に良いことだと思った。
 「けれども、これはいつまでも長続きしませんでした。あたしたちが毎日森にばかり行っているので、両親がそのことを怪しみ出したのです」
 父親に森になにがあるのか問われたエルシは、正直に本当のことを言った。どうせおとなはこういう話を信じないから、たぶん二人の夢のせいにしてくれるだろうと考えたのだ。ところが、事はそう簡単には運ばなかった。
 「妖精?」
 父親は妙な顔をした。
 「森になにかいるのか」
 「ええ、小さな女の子や鬼たちがね。あたしとフランシスは、毎日そのみんなと遊んでるの」
 「もっとくわしく話してみろ」
 どうやら父親はエルシの言ったことを誤解したらしい。森に浮浪者かジプシーの集団が住みついたと思ってしまったのだ。
 「だから、そんなんじゃないってば。あれは人間じゃないの。妖精よ。だって、あたしの手の上に乗れるぐらいの大きさしかないのよ」
 そういっても、てんから父親は信じなかった。どうせエルシの見間違い(そんな見間違いを誰がするだろうか、とエルシは思った)か何かだろう、と、たかをくくっていた。だからエルシが、「それならカメラを貸してちょうだい。あたし、みんなの写真を撮ってくるから」と言い出したときも、ひょっとすると娘が撮ってきた写真にジプシーの集団でも写っていれば、それを森の地主に届けるだけでいくらかの金になるにちがいない、と考えたのだ。
 「よし、貸してやろう。そのかわり、絶対にその妖精とやらを撮ってくるんだぞ」
 エルシは言われたとおり、カメラを持って森に入った。滝のそばに行くと、いつものようにエルフたちが空中からはらはらと降りてきた。
 「あのね、写真を撮ってもいいかしら」と、エルシはたずねた。しかし、言葉を使わずあまつさえ「写真」なる概念を持たない森の精たちは、なんのことやらわからずきょとんとしたままだった。しかたなくエルシは何も言わずにカメラをかまえる。ファインダーの視界の中に、白い服を着た少女のエルフが見えた。
 「さあ、現像してちょうだい」
 家に帰ったエルシは、フィルムを父親に渡した。父親は地下に暗室を持っていたので、急いでそれを現像にかけた。できあがったネガを明るい所に持って行くと――。
 「ね、写っているでしょう。これはどう見ても妖精だわ」
 以来、父親はエルシにカメラを貸すのをやめてしまった。
 「これがそのときの写真です。あるのはこの一枚だけ。あたしが写真を撮ったのが気に入らなかったのか、その日から妖精は森に現れなくなってしまったからです」
 エルシは話を終わった。客は目をつぶったまましばらく動かなかったが、やがて体を起こすとこう言った。
 「非常に興味深いお話でした。なんとも珍しい体験をなされましたな。ときに、二、三の質問をしてもよろしいですか」
 「ええ、どうぞ」
 「ではまず、そのときのカメラを見せていただけないでしょうか」
 その申し出にエルシは少し逡巡したが、すぐに立ち上がると奥の部屋から大きな写真機を持ってきた。
 「どうぞ」
 客はエルシからカメラを受け取ると、上下左右にひっくりかえして、ていねいに調べ出した。そして、彼女にそれを返しながらこう言った。
 「おじょうさん。私をあざむこうとする理由はなんなのですか」
 「え?」
 「あなたはさっき、写真を撮ったのは八歳のときだとおっしゃいましたね。しかし、このカメラはコダック社が五年前に発売した型です。すなわち、あなたが十二歳の年の製品だ」
 エルシはその質問に、きまりのわるそうな微笑をもって答えた。
 「わかりましたわ。噂は本当だったんですね。あなたがお話の中に出てくる探偵さんと、同じことができるという風にうかがったものですから。ついそのことを、確かめてみたくなったのです。はしたないことをしてしまいました。どうかお許し下さいませ」
 「やれやれ、またこれをやられるのか。私はあの男とは違うと言っているのに。どうも、誰もかれもが程度の差こそあれ、こんないたずらをするんですよ。だがまあ、いいでしょう。それで、本物のカメラはどうしたのですか」
 「父が処分をしてしまいました。妖精を撮ったカメラなど、どんな魔術がかかっているかわからないといって。あのことがあった直後のことです」
 「ふむ。ではしかたがない。あなたに聞くしかなさそうだな。そのカメラのタイプは覚えておいでですか」
 「さあ、ごく普通のカメラでしたけど。会社名などは、あとで聞いたら父も知らないそうです。黒くてぼろぼろの革ケースがついていて、それから――どうだったかしら」
 「失礼ですが率直にお聞きします。それは高級品でしたか」
 「え?」
 「いや、安物のレンズがはまっていなかったかどうかを、おたずねしているのです」
 「ああ、それならすぐわかります。この家を見て下さい。こんなところに、いい写真機なんか、置いてあるとお考えでして? 初歩的なことですわ」
 そういって、エルシは片目をつぶってみせた。
 「なるほど。いや、これはどうも。実は私はこの写真の真贋をたしかめるために、あちこちの専門家をまわったのですが、どこにいっても指摘されたのは、ここにある背景の滝が流れて写っているということなのです」
 客は写真の中の一点を指さした。
 「ごらんのように、この水流はぼやけていますね。ところがまわりの木ははっきりと写っているから、ピントが原因ではない。すなわち、シャッター・スピードが遅かったため、動いていたこの部分だけがぶれたのだと考えられます。では、なぜ妖精がぶれていないのでしょう」
 客の指は写真の上を、別の場所に移動した。
 「妖精がじっとしていたから? いやいや、だとすれば我々は相当に我慢強い生き物を想定しなくてはならない。なぜなら、この妖精の足は地面から浮いています」
 客はとつとつと自分の考えを説明した。それを聞いているうちに、エルシはだんだん居心地が悪くなってきた。
 「宙に浮かんでいて、なおかつこうも完全に静止できるとしたら、それはやはり妖精の魔力のためでしょうか。心霊術学会のランカスターもここに疑問をはさんでいます。いったいどういうことなのか、この辺を私は知りたいのですよ」
 客はエルシの顔をじっとのぞきこんだ。エルシはおどおどと答えた。
 「あたしには……よくわかりません。でも、おっしゃる点はたしかに不思議です。あたしがそれを撮ったときには、シャッターの調節などまったくやっていません。ただ、父からカメラを受け取ったままで撮影しました。写真のことはあたしにはよくわかりませんから」
 「ふむ、そりゃそうでしょうな。いや、気にしないで下さい。私はこれが偽物だといっているわけではありませんから。ただ、そのことをうまく説明しないと、『専門家』たちが納得しないのでね」
 客は、ちょっと肩をすくめてみせる。
 「さて、それでは他になにを聞きましょうか。専門家はこの写真の欠点として、妖精そのものの陰影がまわりと違っている事実などを挙げていますが、それはどう説明すべきか。いやいや、もう、おたずねすることはほとんどありませんな。結局妖精の実在・非実在など、論理的に証明するものではないということでしょうか。さきほどよりあなたがさかんに引き合いに出すあの小説の主人公なら、こういうところですね。『証拠材料がすっかり集まらないうちから、推理を始めるのはたいへんな間違いだよ。判断がかたよるから』。どうやらこの問題の答は、私達の知恵の及ばぬところにあるようだ」
 客は深々とため息をついた。エルシは彼に、何か言葉をかけてやるべきではないかと思った。
 「どうも、せっかくの休日をつぶしてしまってもうしわけありませんでした。いや、私はまだ信じていますよ。あなたは確かに妖精に会った。実に羨ましい。私もこのような老人でなければ、森の中に彼らを探しに行くのに。私が心霊学や神智学に手を出すことになった直接のきっかけはご存じですか」
 「いいえ」
 「これです」
 彼はポケットから、今まで見ていたのとは別の、もう一枚の銀版写真を取り出した。軍服を着た若い男が写っている。エルシは、その男といま自分の目の前にいる客との間に、明らかに血縁といえる類似点があることに気づいた。
 「息子のキングスリーですよ」
 客は目を細めてその写真を見つめた。そのようすは、彼の息子が現在どこにいるのかということを如実に示していた。
 「もうおわかりでしょうな。せがれはこの前の戦争で死にました。一人息子でなかったことがせめてもの救いです。しかし……やはり打撃でした。戦死公報が来たときには、妻はしばらくの間、寝込んでしまいましたよ」
 エルシはあの戦争を直接には知らない。ただ、ときどきこの村の空にも飛行機が飛んでいたことだけは覚えている。それも、なんだかやかましいだけの存在で、イギリスをドイツから守るための飛行機なのだといわれても、あまり実感はわかなかった。サラエボ事件に始まってベルサイユ条約に終わったあの戦争も、結局は対岸の火事として受け止めていたのである。
 「世間は私のことを気違い作家と呼んでいます。なんだってあのような探偵小説を書く男が、妖精なんぞに夢中になるのかと。友人達は至る所で私に忠告をするし、バーナード・ショウやオスカー・ワイルドなどは私に対する敵意がむき出しだ。彼らは言います、気違いアーサー。しかし――わかっていただけるでしょうか。キングスリーは私に会いたがっています。ただ、私には彼の声が聞こえない。それがもどかしい。方法は一つしかありません。研究です。霊界に通じる道は、どこかにあるはずです」
 客は悲しそうに首を振った。エルシには、言うべき言葉が見つからなかった。
 「お恥ずかしいことですが、私は戦争をすばらしい物だと思っていました。あちこちにそう書いてしまったので、あなたもご存じでしょう。まったく――私は大莫迦だった。息子を亡くして初めてわかりましたよ」
 客はつらそうに頭を振った。最初に見たときに感じた威勢のよさは、今はみじんもなくなっている。エルシはしばらくの間、彼に何を言っていいのかわからなかったが、やがておずおずと口を開いた。
 「あの――あなたは妖精に何を求めておいでなのですか」
 「え?」
 客はけげんな顔をした。質問の意味が、とっさには理解できないようだった。
 「妖精に会えたらどうするおつもりなのか、ということです」
 「妖精に会えたら、ね」
 客はまじめな表情で思案をはじめた。エルシはそれを見ながら、紅茶がすっかり冷めてしまったな、と場違いなことを思った。
 「いや、具体的な展望はありません。ただやみくもに探していただけです。ふむ、妖精に会えたら、か。いったい妖精という物は、話にあるように願い事を聞いてくれるのでしょうか。だとしたら――」
 「キングスリーさんに会いたい」
 「そう。しかしさっきの話では、あなた自身は彼らに何も頼んでいないように聞こえる」
 「そのとおりです。あたしはそんなこと、考え付きもしませんでしたから。きっと、生活に満たされた幸福な子供だったのでしょうね。『今』だったらわかりませんけど。もしかしたら、妖精は満ちたりているときにしか見えないのかも知れないわ」
 彼女は「今」というところに力を込める。本当は、「今」でも自分が妖精に会えることを、彼女はよく知っている。
 「新説ですな」
 「ええ。でも、もしもよくいわれるように、あれが子供にしか見えない存在ならば、それは幸せな人間だけの物と言うことになりはしないでしょうか。あたしはあのころ、本当に楽しく暮らしていました。悩みも心配もなく、ただ毎日がうれしくて」
 エルシは、冷めてしまった紅茶を一息で飲み干した。そして、客の目の前でティー・カップをゆすってみせた。
 「子供達は話しかけます。お人形やコーヒー・カップ、育てている鉢植えに。『雨、雨、行っちまえ。別の日に来ておくれ』。似ていると思いませんか、あたしの妖精達と。この写真がどう受け止められるか、それはたいした問題じゃありません。あたしは確かにあれらに会ったし、そのうちの一人がここにこうして写っている。思い出の証拠はこれだけで充分です。いずれにせよ、もう二度とこの美しい生き物をみることはないのだから」
 それは本当は嘘なんだけど――。
 そう思いながら、エルシは客に向かって寂しく笑った。いつの間にやら、彼女のほうがこの話に夢中になっていた。
 「困ったものですわね。願い事をかなえるはずの存在が、それを本当に必要としている人々には見えないなんて。でも、こういうものなんでしょうね、世の中って。いらない物はいくらでもあふれているのに、欲しい物はなかなか手に入らない。なんて皮肉なこと! だからこそ、おもしろいのかもしれませんけど――。それにしても……すみませんでした、お役に立てなくて。お会いできてとってもうれしかったですわ。お差し支えなければ、ぜひまたいらして下さい」
 こんな説明で、満足してくれるだろうか。
 エルシは深々と頭を下げた。それを見て、高名な客はごそごそと写真をしまいはじめる。エルシはすっくと立ち上がって、客の外套を取ってきた。
 「これからどうなさるおつもりですの」
 「とりあえずロンドンに行きますよ。ストランド・マガジンにこの訪問の報告を出すのでね。それに――どうやらまたぞろ、あの探偵の小説を書かねばならなくなりそうだし。妖精の記事を載せる代わりに、どうしてもあと一冊分は書けと言われてまして。やれやれ、どうして私はいつまでもあいつから離れられないのだろう。まったくあなたの言うとおりですよ。書きたい物はちっとも書かせてくれないのに、あんな小説の注文だけはなくならない」
 客は笑って肩をすくめた。そしてすっと身を起こすと、今の外套を受け取って袖に腕を通した。エルシは彼の帽子を持って、玄関の前まで案内をする。奥のほうからエルシの父親と母親が顔を出してきた。
 「おや、もうお帰りですか。エルシはなんぞ失礼をしなかったでしょうな」
 父親が言った。客は頭を下げて、いえいえとんでもない、どうもありがとうございます、と挨拶をした。エルシが玄関のドアを開けると、外はいつの間にか夜になってしまっている。外に出た彼は、もう一度エルシのほうを振り返った。
 「ではまた。といっても二度とお目にかかることはないかも知れませんが」
 「そうですわね」
 彼は家のまわりに目を転じた。うっそうとした森が、家の後ろに黒々と広がっていた。エルシが幼いころに通った森である。
 「あれが、妖精の森ですか」
 「ええ、そうです」
 「ふむ」
 彼はしばらくの間、じっとその森影を見つめていた。妖精の視線がその中から帰ってきているように思えた。
 「行ってみたかったな」
 「ご案内しましょうか。滝まで」
 「いえいえ、こんなに暗くなってからでは、若い女性にそんなことはお願いできませんよ。あきらめましょう。では、さようなら。お元気で」
 客はくるりと背中を向けると、しっかりした足取りでエルシの前から去っていった。彼を見送りながら、エルシは前方の闇に目を移した。いつしか、彼の姿は闇に溶け込んで見えなくなっていた。
 ――妖精、か。
 それは人間の願いをかなえてくれる存在だと、昔から言われている。エルシはそっとため息をついた。
 ――見せてあげても、良かったかも知れない。
 エルシは前方のやみに向かって、すっと手を差し出した。するとその上に、なにやら小さな光る物が現れた。それは、ふわりとエルシの手の上から飛び立ち、しばらくの間まわりを舞っていたが、やがて彼女が左手を振り上げると、パッと空中に消えてしまった。
 ――こんなことが、おもしろいのだろうか。
 もう一度、右手を上げる。こんどは、さきほど客が見せてくれた写真の人物が現れ、すぐに消える。
 少し意地悪だってかも知れない。やればできることを、客には隠していたのだから。しかし、そのあとに起きる面倒を思うと、やはりこれで良かったのだろう。
 エルシは振り返って、自分がここ十七年あまりを過ごしてきた家を見なおした。彼女の「両親」が、その中で夕食の席についているはずである。もう少したてば、母がエルシを呼ぶ声が聞こえてくるだろう。
 ひょっとすると、あの小説家と拘わったために、自分の記録が歴史に残ってしまうかも知れないな。
 そう思いながら、エルシは家の中に入っていった。彼女の後ろで、誰も手を触れない扉が、音もなく閉まった。

 「シャーロック・ホームズの冒険」を書いたアーサー・コナン・ドイルが、第一次世界大戦で息子を失って以来、心霊術に取り付かれるようになった事実は、ホームズの研究家を抜かして、今ではあまり知られていない。ドイツに対する彼の憎しみは相当なもので、「最後の挨拶」と題されたシャーロック・ホームズ物では、アメリカ人に化けたホームズがワトスンと協力して、ドイツ人のスパイをさんざんな目にあわせるのだ。ドイルの筆致はその場面をたんねんに描いている。しかし、ドイルはその生涯を通じて、終始シャーロック・ホームズを嫌っていたため、晩年には心霊術に関する小説のほうに、むしろ力を入れていた。
 エルシ・ライトの妖精の写真の事件は、ちょうど彼がこの「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」を書いた直後に起こっている。霊魂ばかりか妖精の実在をも信じたドイルは、なんとかその写真の真実性をたしかめようとしてエルシに会いに行ったが、結局はなにもわからぬままに終わった。
 ドイルは孤独な老人であった。彼の晩年の思いは、「シャーロック・ホームズの事件簿」の中の最後の事件、「隠居絵具師」の冒頭でホームズが述べている言葉に集約されている。
 「人生はすべて哀れなつまらないものにすぎない。手を延ばして何かを握ろうとしても、残るのは影ばかりだ。いや、影ならまだいい。ときには貧困をつかむ者もいる」


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