アジアンコミックパラダイス

    唐沢俊一

    KKベストセラーズ


 私はいかがわしいものが好きである。
 いや、いかがわしいというのも違うな。低俗、というのでもない、要するにゴミのようなもの、例えば偽物のプラモデルとか、奇妙なカルト・ムービーとか、通信販売でしか買えないような珍発明とか――そういった文化の主流にはとてもなりそうにない、大衆の作り出したクズみたいな物のことだ。ひょっとすると、このホームぺージに入ってきた方は、結構そういう人が多いのではなかろうか。もしもあなたが、ここにある「写真館」に載せたようなものが好きだったり、レストランでものを頼む時に、うまいものより珍しいものを選ぶとしたら、ここに紹介する本はきっと楽しめることと思う。

 これはつまり、タイのB級ホラー・マンガの紹介本である。B級といっても、あくまでそれは志がそのレヴェルにある(つまり、徹底して娯楽を指向している、らしい、ということ)という程度のもので、内容的にははっきりいってC級かそれ以下だ。絵もストーリーも、相当いいかげんである。しかし面白い。その面白がり方が作者の思惑と外れているのがいささか難だが、とにかく面白い。これらの作品は、いいかげんではあるが、少なくとも投げやりではないのだ。退屈な日常に嫌気がさしている時など、このような世界に遊んでみるのもいかがなものであろうか。

 さて、タイ・コミックには、おしなべて次のような傾向があると思う。私もかつてはマンガを書こうとしたこともあるので(ただし、すぐ挫折したから、余り当てにはならないが)、ここでは純粋に作品の技術や出来不出来に直接つながる点で目についたものを挙げてみよう。とはいっても、巻末の資料集みたいなページを見ると、この本にはあくまでもB級というか、クズみたいな作品を集めたとあるから、本当はもっと「まともな」マンガがあるのかも知れない。

    とにかく絵が下手
       マンガの絵は、いわゆる芸術絵画とは違った発展をしている。だから日本でも、新聞4コマ・マンガに代表されるタイプの絵は、写実的なデッサンなどと比べて巧拙を問うことは出来ない。タイ・マンガも異なった文化圏の物であるからして、日本人がそのままの感覚で絵の巧い下手を論じてはならないのだと思う。
       しかし如何になんでも、コマが変わるごとに登場人物の顔が変わったり、出てくる人の顔が全然区別がつかなかったりするというのは、やっぱり下手なんだろう。目指しているものが違うんだといわれればそれまでだが、どうも池上遼一とかあの辺りの絵柄の影響があるから、まるで比較にならないということもあるまい。マンガ家志望の人など、これを見てタイでデヴューしようと思ったり……しないだろうなあ。トータルには、そこらの同人誌以下だしなあ。
       ただ、マンガというものは、下手だろうと何だろうと、作品をきちんと最後まで仕上げているうちに上達するものである。この作品群を笑っているうちに、向こうが追い抜くなんてことにもなりかねないのだ。いつまでも驕ってはいられない。しかし現段階では、その絵の下手さかげんの結果として、次のようなことになる。

    ストーリーの説明ナレーションが多い
       普通、マンガとは絵と吹き出しだけでストーリーを進めるものだ。ナレーションが入るとしても、せいぜい「19××年、世界は核戦争の危機に見舞われた」程度であって、出来事まで一々記述したりはしない。ところが、この本に収録されている作品のほとんどが、ストーリーの内容を不器用に埋めたナレーションで進めていく。
       「実は彼は悪い男である」
       あるいは、登場人物が互いに話し合う事で状況を説明する。
       「私たちは、もう2週間もジャングルを歩き回ってますが、何も見つかりませんねえ」
       日本のマンガで現在これをやっている人は、ほとんど知らない。日野日出志がやっていたかな。白土三平の忍者マンガの忍法の解説は、まあ特殊な例だろう。わたなべまさこがこれを多用する癖があるが、だから私は彼女の作品を高く評価していない。くどく感じるのである。
       しかし、タイ・コミックの場合、これにはちゃんとした理由がある。何となれば、絵が下手だから、説明してもらわないと何がなんだかわからないからだ。例えば、「ナンパヤーの墓」という作品は、要するに5人の若者がキャンプをしていて洞窟を発見し、その奥に行くと美女がいて、それが人喰い鬼なのだ。で、この女性が突然正体を表わす場面があるが、変身の過程はまったく描かれず、顔も服装もがらりと変わってしまうので、「その時、女は突然化け物に姿を変えた」と書かれなければ、読者は同一人物であることすら気がつかないだろう。わたなべまさこは、あんなことをしなくても充分ストーリーがわかる画力を持っているので、くどく感じるのである。
       このため、タイ・コミックでは複雑なストーリーは難しいだろうが、単純な話なら何でもありになってしまう。すなわち、

    ストーリーがいいかげん
     例えば何の伏線もなく、唐突に「俺は霊媒師だから何でも出来るんだ」と言い出してしまう。都合の悪い事はすべて無視してしまうので、前のページで言った事をすぐに平気でひっくり返す。もう、ほとんど無法地帯である。こんなことやってても、話がわからなくなりそうになったら、ナレーションで埋めればいいのだ。
     ただ、これはもしかしたら、うらやましいことなのかも知れない。要するにB級作品は面白ければいいわけだから、やれリアリティがどうしたこうした言ってつまらなくなってしまうよりはずっといいのかな、と思う節もある。実際、この本のマンガは面白いのだから。とはいっても、これを自分が書くとなると、いささかためらうなあ。
     ところで、ストーリーのいいかげんさは、何もこういったアジアン・コミックの専売特許ではない。アメリカのそれだって、かなりいいかげんである。嘘だと思うなら、「スーパーマンの最後」を見てみるがいい。ストーリーはほとんど思い付きで進行し、伏線らしきものもどこかへ吹っ飛んでいる。小説や映画ではあれだけ精緻な世界を作り上げる国なのに、一体どうしたことかと思うくらいだ。もちろん、アメリカのB級映画等にもかなりひどいものがある(しかし、巧く紹介すれば、「カルト」と言ってもらえる)が、「スーパーマン」のようなどちらかというと有名な作品でも、あれなのだ。如何に日本のマンガが「まともに」発展したかわかろうというものである。

    コマ割りが単純

       私が昔聞いた話では、普通の雑誌サイズの場合、1ページはだいたい8コマにするのが良いそうである。更に、日本のマンガは断ち切りや変形コマなどの技術の発達で、時間の流れについて独自の展開を可能にした。「のらくろ」のころは単純に8つ並んでいただけだったコマが、現在はずっと多彩になっている。
       タイのコミックはどうか。だいたい1ページには4コマしかなく、それも単純に「田」の字に区切られている。雑誌は縦長なのが常だから、田の字に区切ったらコマも縦長になりそうなものだが、そうはならない。上下の空きに前述のナレーションが入るからだ。このため展開がだらだらしそうだが、どちらかというとめまぐるしい。細かい所は全然描かず、ナレーションで進行するためである。しかも、

    表現が直接的
       何と言うか、全然ひねりがない。もう少し何かやりようがあるんじゃないかと思うくらいである。
       「私の奥さんはブスなんです」
       「ああ、赤ん坊が食いたいなあ」
       その結果として、
       「これはとても恐い話だ」
      といっておきながら、実はコメディにしか見えないなんてのもある。そりゃ確かに化け物は出てくるが、だからすなわちそれが恐い話である、とはならないと思うのだが――。

 何だか書いていて、ますますこの本が好きになってしまった。この本を読むのに理屈をこねても仕方ない。とにかく、面白い。それだけである。

宇宙暦29年6月12日)


図書室に戻る