HTML文書を書くのは難しくない。自分がJAVAやShockWaveとかを使っていないからかも知れないが、少なくとも普通にホームページを展開するくらいのHTMLなら、すぐ書ける。もちろん、だからといってホームページを作るのがやさしいと言うわけではなく、人に見せられるだけのものをそれなりに書くのは、これは大変に難しいことだと思う。だが、それを取り上げるのがこの場の目的ではない。問題は、HTMLを書く道具についてなのである。
最初にこのホームページを準備している時に私が使っていたのは、MS−WORDにアドインしてHTMLを書くというソフトであった。これはNIFTY−Serveからダウンロード出来るのだが、そう、1週間も使っていただろうか。結局のところ、どうしてもこちらの表現したいようなものが出来ず、さっさと普通のテキストエディターで直接書く方式に移行してしまった。実は今これを書いているのも、MS−DOSのエディター(Vz)である。
HTMLの企画というのは、どうも未だに統一されていないらしい。ネットサーフィンをしていても、しばしば「NetScapeで見て下さい」という表示にぶつかる。これは、本来ならウィンドウズとマッキントッシュの垣根をとっぱらうインターネットの趣旨に反するとも思うのだが、常に発展段階にあるコンピューターの世界では仕方のないことなのだろう。ただ、HTML自体が常にヴァージョンアップの過程にあるとすると、いわゆるホームページ作成ソフトではすぐに対応出来ないという不安が残る。確かにウィンドウズのWISIWIG思想からすれば、直接画面上でホームページのイメージを作るのが一番いいのだろうが、上記のような理由で自分はそうしていないわけだ。
ところで、HTML文書は普通のテキストであって、特殊なコントロールコードは一切入っていない。その中にタグを埋め込むことによって、このような視覚的表現が出来るようになる。したがって、これを「書く」だけならMS−DOSのエディターで充分事足りるのである。
ウィンドウズの環境からエディターを起動してとにかく書く。少し出来たら一時的にウィンドウズに戻りブラウザに読んで確認。また、エディターに戻って作業。この繰り返し。これなら、少なくとも自分の持っているブラウザでの結果は完全に把握出来るわけだし、一度雛形を作っておけば、すぐに新しいファイルも作れる。Vzはこんな時代になっても当分手放せない。
ウィンドウズは場面によっては確かに必要だと思う。マルチフォントやマルチタスク、OLEによるオブジェクトの張り付け、メモリーの上限アップなど、DOSの抱えていた不完全な点は、かなり改良された。そもそも、このインターネットすらが、インテル系のコンピューターではウィンドウズがなかったらかなり大変なことになっていただろう。DOSにはグラフィックのデバイスに関する規準がないからである。
ところが、そのウィンドウズもいいことずくめではない。まず起動が遅い。それなりの起動時間で動き出す機械もあるのだろうが、それにはかなりのマシンパワーを要求される。未だに結構現役で動いていると思われる486系では、スイッチを入れてからトイレに行くくらいの時間がかかるし、CPUパワーをいくら上げても、ハードディスクの読みに時間がかかっているうちは駄目だろう。
それに、画面が小さいとなんとも見にくくなるという欠点もある。最近流行っているモバイル型のコンピューターなど、あの小さな画面でウィンドウズを動かしたら、私の目はやぶにらみになってしまいそうである。ウィンドウズのソフトはどうしても上にタイトルバーとメニューバーが必要だし、それを消すことが出来たとしても、少なくとも複数の窓を並べて使うのはとても無理だ。あの手のコンピューターは、別にデスクトップを持っている時のサブに使うものだろうから、無理にウィンドウズ中心に使わなくてもよいのではないか(もちろん、動いた方がいいには決まっているが)。
そう、ここで考えたいのは、ウィンドウズを使わずに出来ること、一歩進んでMS−DOSの方がいいんじゃないかと思うことについてである。MS−DOSには、次のような利点がある。