楽器に関する覚え書き

法螺貝――horagai


 よく「法螺貝の笛」などと書かれるが、実はこれは笛――木管ではない。発音原理の分類からすると唇の振動を音源とするので、立派な金管――喇叭らっぱである。「楽器図説」(菅原明朗、音楽之友社)によれば、日本古来からある金管はこれだけらしい。ということで、我が家に現れた初めての金管楽器になる。
 一般に知られているように、山伏などの修験者が修行に使ったりするが、特に日本固有の楽器ではない。チベットでもラマ教などで吹くというし、他の国にも分布しているそうである。アニメ「海のトリトン」でもお供のイルカが頭に付けていたが、トリトンはポセイドンの息子で法螺貝を吹く神だというから、ギリシャやローマの神話にも登場しているわけだ。同類に角笛がある。

 吹く時は唇の真ん中ではなく、左右のどちらかに寄せて鳴らす。これは流派がいろいろとあって、それによってもどちらになるのか違うらしい。最近はインターネットで画像検索すればそれなりの写真が見つかるが、どうもサイトによって違った姿勢で写っている。「正式」にこだわろうにも、何が本当なのだか判らないのだから困ったものである。仕方がないから、それぞれの写真を調べて、自分で一番持ち易いのを採用してしまった。
 音を出すのは、「とりあえず」の段階ならさほど難しくはない。ただ、乙音(低音域)で二音、甲音(高音域)で三音となると、かなりの練習が必要になる。一つずつはなんとか出ても、それを連続させるのが難しいのだ。しかし、練習の成果は割と現れやすいし、結構飽きが来ない音なので、袋と合わせて4万円という値段はそれほど損したとは思わない。何しろフルートなどは、一番安くてもこれより高いのだから。

 それにしても、これは楽器なのだろうか。というのは、そもそも音楽を奏でる目的には、余り使用されないからだ。バスケットの試合で使われるホイッスルなど、明らかに立派な木管だが、あれを楽器というにはどうも抵抗がある。この法螺貝も、修行や合戦の合図などのためのものだから、果して「楽器」といえるのかどうか。
 この原因は、西洋の金管のようにピストンやスライドの機構を持たないため、音階が作れないことにある。音階が苦手な楽器としては、他に能管があるが、あちらはやはり能楽に使われるわけだから、立派な「楽器」だろう。

 今「能管」と書いたが、個人的には法螺貝と能管は似たような楽器として捉えている。すなわち、かなり起源の古いものでありながら、西洋音楽の規範では測れないため、現代では特有の使い方が考えられるからだ。もちろん伝統的な演奏を無視してしまうつもりはなく、むしろまずはCDなどでその音を聴いて真似しようとするところから始めている。習った方がいいのはわかっているが、私の性格では教えてくれる人に迷惑をかけそうだ。しかしいずれは、何か現代の音楽の中での自分なりの位置を見い出せればと思っている。楽しみな楽器である。

 そうそう、最後に一言付け足し。
 実はこの楽器、ペットボトルの底を抜いてしまうだけで、似たようなものが作れてしまうのだ。こういった科学実験の解説などでは、ホースを切って付けるよといいような記述もあるが、私の実験ではそれすら必要ない。ただ底に穴を開けるか、丸く切ってしまうだけでよい(実はまったく加工しないそのままのボトルも吹いてみたが、これは流石に中に息が溜まってしまうので、駄目だった)のである。実際に買う前に練習したい方がいらしたら、ぜひお試しあれ。

宇宙暦41年1月20日)


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