日本の笛の中ではもっとも気に入っている楽器。実に不思議な木管である。
多分、日本人ならこの楽器の音は結構耳にしているはずだ。能だけでなく、歌舞伎や祇園囃子などで使うと「邦楽百科辞典」にはあるし、テレビなどではよく流れている。ただ、改めて能管がどんな音を出す笛かと聞かれると、これは困る人が多いかも知れない。現代の邦楽器は、箏や三味線などの撥弦楽器を抜かして、余り一般的でない証拠である。邦楽器の木管中で一番知られているのは、多分篠笛だろう。竹を切って穴を開けた単純な笛で、牛若丸が五条大橋の上で吹いたり、祭囃子でピーヒャラいっているあれだ。これについては別の所に書くと思う。
さて能管だが、これは能楽を耳にする機会があれば注意していただきたいが、何と旋律がきちんと吹けないのである。調律はわざと狂わせてあるそうだし、歌口よりやや下の部分を「喉」と言って、内側が細くしてある。これはオクターヴ上の音を出した時に、不正確にするための工夫だと言う。つまり、この楽器は狂っているのが正しい。というよりも、そもそもメロディを演奏するために作られたのではないのだ。
だいたい能楽は、きちんとした旋律や調子を持たない音楽である。試しに「高砂やこの浦舟に帆を上げて」と謡って見て欲しい。これをピアノで弾くのがまず不可能であることが、すぐにわかると思う。能管はこの玄妙な謡曲に合わせ、しかもユニゾンで演奏するわけではないという役目を持つ。現代音楽がここ百年余りで研究していたことを、既に能楽は数百年前に完成していたのである。
さて、これは浅草の祭用品店で買った物だ。篠笛が上手く吹けないので代りにと思ったのだが、甘い甘い。この方がずっと難しいのである。だいたいこの笛には教則本や独習用の教科書が見つからない。口伝の部分が多いのだから当然である。概して邦楽器はこの傾向があるが、それでも箏や三味線などはかなり体系化されたものが出版されているし、尺八・篠笛もそこそこ楽譜が買える。しかもこれらは、五線譜が何とか使えるのだ。しかし能管はとてもそうは行かない。恐らく、とても本などでは伝えられないものなのだろう。仕方がないから、レコードで聴いてコピーである。幸いにもテレビでちょっと紹介されたことがあるので、指使いが少しはわかっている。結果は――もちろんあまり上手く行っていない。自分の結婚式で演奏した以外は、人前で吹いたこともなく、たまに引っ張り出してはああでもないこうでもないとやっている次第である。まあ習いに行けばいいのだろうが、そういうことが至って苦手な怠け者なのだ。
それにしても、この楽器をMIDIで演奏するなどというのは当分(永久に、とは言わない。出来ないと思っていたことが実現されてしまったことは、今までにも何回かあった。今度もそうでないと誰が言えよう。しかし、まあ難しかろう)の間出来ないと思う。能楽を演奏するシンセサイザー。意味があるかどうかは別にして、そんなものが出来たら素直に敬服する。
なお、この笛については「幽玄抄」という小説を書いたことがあります。図書室の方に収録したので、もしよろしければ読んで下さい。私の数少ない時代劇の一つです。