楽器に関する覚え書き

篠笛――shinobue


 篠笛については話が一渡りある。いやまあ、もちろんここに書いている楽器についてはすべて一渡り話があるわけだが、篠笛はそもそも手に入れるのに苦労したので特別の想いがあるのである。
 確か結婚する前の年だったが、ある日突然、どうして自分は日本の楽器が出来ないのだろうと思った。それまでも、SF研で映画を作っていた時は、一応主題曲を作る上で必要な楽器は何とかして都合を付けたり(もちろんたかが知れてはいるが)していたが、どういうわけか自国の楽器には手を出したことがなかったのである。これは日本人として恥ずかしいのではあるまいか。
 まあ極めて短絡的にそう思ったのだが、実用的な意味もある。和楽器はあまりやっている人がいないから、物珍しさだけでも人に勝てるのではあるまいか。そもそも私のやり方と言うのは、人が手を出していない分野を開拓すれば、競争する必要がないので負けなくて済む、というものだ。
 それでも、三味線や箏は値段が高いという問題がある。だいたい、独習が出来そうにない。その点、フルートならやったことがあるし、ここは一丁、横笛にするか。これなら値段もそんなに高くあるまい。
 と、ここまでは良かったのだが、渋谷のヤマハに行ってみたら、何と和楽器は置いてないというのである。ギリやケーナはあるのに、だ。ヤマハの本名は「日本楽器」のはずなのに、他の国の民族楽器はありながら、自分の国の楽器は置いていない。何ということ! 唖然とするとともに、少々心配になった。自分がシンセサイザーにうつつを抜かしている間に、足元が崩れていくような気がしたのである。宮城道雄も同じことを思ったかどうかは知らないが、いずれにせよ、ますます笛が欲しくなった。それで店員さんに聞いてみると、どうもこの分野の楽器は浅草にあるらしい。
 ところが、行ってみるとどうも判然としない。何屋で売っているのかがよくわからないのだ。和楽器屋というのは、大抵、箏・三味線・尺八である(この三つは、比較的入門書も手に入りやすい)。そこで交番で聞いてわかったのだが、これは祭用品店で売っているという。ようやく店の場所がわかり、篠笛以外にも、能管、龍笛などが売られていることがわかり、ほっとした(しかも、これらの笛も後日買ってしまうのだ)。浅草はそれ以来、結構気に入っている下町になった。実は父方の祖父の墓もここにある。

 さて、楽器そのものだが、基本的には竹に穴を開けただけの簡単なものである。能管のように凝った作りはしていない。5千円以内で買えるだろう。演奏も、音を出すだけならそんなに難しくはない。困るのは音階である。伝統的な日本の篠笛は、何と調律が狂っているのだ。それも、能管のようにわざとそうなっているのではない。邦楽の十二律に合わせて穴を開けると言う研究がされたのがそもそも最近のことらしく、三味線と合奏する時も合わないままに無視してやっていたという。だから、牛若丸が五条大橋で吹いていたような感じにするのも、口唇の角度や穴の塞ぎ方で細かく調節する必要があり、大変に苦労する。
 最近になって、みさと笛などの西洋の平均律に調律された笛が作られるようになったが、もともと日本の音階すら正しく演奏出来ないというのにはびっくりした。こんな楽器は初めてである。それでも少ない入門書を調べたりして、何とか音階らしきものを出すことが出来るようにはなった。ときたま出しては、即興演奏をやってみる。きっと近所の人達は、あの家はどうなっているんだろうと思っているのに違いない。

宇宙暦29年1月1日)


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