黒騎士

川崎飛司

 この作品は、お茶の水女子大学SF研究会誌「コスモス」の第14号(1980年11月8日発行)に掲載されました。音楽室に収録した「交響詩・黒騎士(もしもMIDIの設定が出来ていれば、今お聴きのはずです)」の元となった小説で、私が大好きだった物語です。以前より収録を望んでいたのですが、この度ようやく作者に連絡が取れました。快く掲載を許可していただいた川崎飛司さんに、深く感謝いたします。

 石畳に叩きつける雨が、城の中庭を白く煙らせていた。
 対峙する者が二人。”白騎士”と”黒騎士”と。
 落雷の音とともに、両者は槍を繰り出した。その残響の中、白騎士――エドナンの槍と楯は、砕かれ、はね跳ばされて水溜りに転がった。
 エドナンは愕然とした。
 こんなに強いはずは無い。
 剣を抜きざま、雨中の相手を見すえた彼は、再び戦慄した。
 黒い面頬の奥、無気味に光る冷徹な双眸は、いつものジャン・クロード――無邪気で、底抜けに明るい彼の教え子、朗らかな碧い目で相手を真直ぐ見つめる若者――とは全く似つかぬものだったのだ。
 そう、彼の目ではなかったのである。

 異様な静寂に、ジャン・クロードの意識は浮上する。と、彼の視野にとび込んで来た白い塊。石畳の上に、無造作に転がっている。
 死んでいた。
 早春にしては冷たすぎる雨が、馬上のジャン・クロードを打った。


 うそ寒い。
 明るく晴れ上がった春の陽射しに、高く雲雀が鳴いている。一面の野は、生命に息づいている。
 が、馬の足のおもむくままに旅をする黒騎士には、そんな自然は見えない。陽光の暖かさも届かない。
 黒騎士、ジャン・クロード。
 ほんの一月前まで、彼は宮廷の花形だった。騎士中最年少ながら、武芸・礼儀作法等、彼の右に出る者はいなかった。たった一人、彼の見習い時代の師で騎士達の重鎮、「白騎士」エドナンを除いては。
 そのエドナンと併称され、彼は「黒騎士」と呼ばれた。漆黒の鎧姿に、憧れと敬意と賛美とを込めて。
 輝かしかるべきそんな彼の将来は、しかしあの故なき決闘によって崩壊してしまった。エドナンの誤解だったのだ、と彼は思う。何かに魅入られていたのかも知れない。彼があんな事をするわけが無いのを、いちばん良く知っているのがエドナンのはずでは無かったのか。
 が、周囲の人達はそうは見てくれなかった。ともかく、やむを得なかったにしろ彼は決闘を受けて立ったのだ。そして、彼らの英雄、騎士の鑑のエドナンを殺してしまったではないか。……この時から、「黒騎士」の呼称には、畏れと蔑みと侮りとが込められる様になったのだ。
 最初のうちは耐え抜いてやろうと決心していた彼だった。が、”彼の貴婦人”までもが彼に冷たい視線を送る様になり、遂にいたたまれずに彼は宮廷をとび出して来てしまったのである。
 ジャン・クロードは、他人の目を正視出来なくなった。

 馬上で揺られながら、黒騎士は考える。――それにしても判らない。何故エドナンを斃した、いや、斃せたのか。
 向いあった。稲妻が閃いた。……そうだ、その時、内部で何かがはじけた様な気がした。その後は?……闘いの記憶は全く無い。ただ気が付いたら……。

 呼びとめられて、黒騎士の考えは中断される。陽に灼けた、小柄だががっしりとした身体つきの農夫がそこに立っていた。
 男は、彼に訴える。村の若い衆が、種々の不満から暴動を起こしている。長老にも手が負えず、その上今は領主がいなくてゴタゴタしている。何とかしてくれ、と。
 領主がいない? 彼は聞き返す。と、一月程前、決闘で亡くなった、その息子は武者修行に出ていて見つからない、との答えが帰って来た。
 エドナンの領地だ……黒騎士はぼんやり思う。そんな彼の心境を知ってか知らずか、男は彼をせきたてる。早くしないと村が壊れてしまう――。
 成程ひどい状態だった。青年達は、礼拝堂へ避難した村人達を尻目に、傍若無人に振舞っている。
 面妖しい。
 こんな事は、あり得ないはずなのである。なのに何故。
 呆然としている黒騎士を見つけて、青年達は礼拝堂へ乱入した。”権威”の登場に、村人達を楯にとる腹づもりなのだ。
 扉が叩き壊され、叫喚が上がった。
 数瞬して、首領らしき若者が、幼児を髪で吊る下げて姿を現わした。来るんじゃない! と。幼児はあまりの恐怖に、泣くのも忘れてしまったらしい。
 その時。若者の手が滑ったのか、幼児は地面までの二メートル余りを落下して撃突した。柔らかい身体がひしゃげ、土はその血をすすった。
 驚愕に蒼ざめた若者の引きつった顔が、彼の憶えている最後だった。
 黒騎士の内部で、何かが切り替った。

 意識が再び浮上した時に、彼の見たものは地獄だった。
 礼拝堂の壁一面に血が飛び散っている。床には、七、八十人の屍が折り重なって朱の海に泳いでいる。おそらく、青年達を斬るついでに楯になっていた村人までをも斬ってしまったのだろう……何よりもまず信じられなかった。自分の精神の何処で、こんなむごたらしい事をやれと命令したのだ……
 首領の青年と小柄な男とが、入口近くで仲良く並んで転がっていた。中程で、恋人らしい二人が向きあって斃れていた。祭壇の下に、若い母親が乳飲み子を抱えてうずくまっていた。
 その上に掛った十字架上のキリストが血を流していた春の昼下がり――


 草木が天空を目指して緑を吹き上げていた。ある初夏の日の事である。
 黒騎士はまだ、野をさまよっていた。その理由も判らないままに。
 光が翳って来た。
 地平線の一点から重い灰色の雲が湧き上がり、たちまち全天を覆いつくした。
 圧しつぶされそうな空だ……黒騎士は周囲を見回した。何処か雨やどり出来る場所を捜さなくては。
 前方右手の彼方に、林らしき影があった。彼は馬に拍車を入れた。

 木立ちの中には、先客がいた。同じ様な旅の騎士。従者と鷹とを連れている。
 よく知った顔だった。エドナンの息子、ノーラン。
 黒騎士を確認した瞬間、ノーランの目に異様なきらめきが走った。
 ――遂に見つけたぞ。
その目はそう云っていた。
 当然の様に、決闘になった。
 栗毛の馬にまたがり、白銀の鎧をまとったノーランが、槍を構えて突進して来る。
 黒騎士の意識に、閃光が広がった。闘争の魔物が、彼の心理の表層の突き破って噴出したのである。
 彼は彼でなくなった。

 にぶい落下音に、黒騎士は我に帰る。
 ノーランが、従者を押しつぶして倒れている。二人とも絶命している。
 ふいに、大きなはばたきとともに、何かが曇天へ舞い上がった。
 ノーランの鷹だ……そう思うより早く、彼の手は無意識に小刀を投擲する。鷹のよけたはずみに、小刀は翼端を貫通して何処かへ落ちてゆく。
 呆然と見送る彼を後に、鷹は必死に高度を取る。翼から血を噴きながら。そして雲間に消えたその一点から、錐で突き刺したかの如くに太陽光線が一条出現した。

 雨は遂に降らなかった。


 黒騎士は魔物。
 黒騎士は死の使い。
 そう云った噂が、村々に広まっていた。

 黒騎士は消耗していた。
 彼と関わりを持った者は、(彼の意志とは裏腹にだが)全て死んでゆく。それ故、素朴な恐怖感が彼を悪の象徴に仕立て上げてしまった。
 だから、誰も彼に寝ぐらなど貸してはくれない。食物の入手も困難になった。
 小動物を狩り、野宿する。人に会わない様、集落や街道を避けて。心の影におびえながら。物音一つにも神経を尖がらせながら。
 悲しげな碧い目の上に、生気の無い金髪が、いくらかき上げても落ちて来る様になった。
 真夏。自然にとっては素晴らしい恵みの陽光も、今はいたずらに彼の体力を奪うだけだった。
 彼は、社会から閉め出され、抹殺されようとしていた。

 静かすぎる。
 黒騎士は、山裾の草の中から、休めていた身を起した。
 剣呑さを含んだ午後の陽光を透かして、さほど遠くない所に彼を半円形に包囲する、十数人の騎士が見えた。
 彼は小さな叫びをあげた。
 アンリ!
 ジャック!
 ルイ!
 ジャン・ピエール!
 ……
 全て、馴染みの連中ばかりだった。宮廷で一緒だった若手の騎士達。
 そのかつての友人達が、彼を取り囲んでいた。無言の裡に、距離をつめて来る。
 騎士達の目には、一様に暗い憎悪と怒り。もはや、彼を忌わしいものとしてしか見ていないのだ。
 それが、彼の奥から噴き上げた。

 理性がそれの制御に成功した時、彼は十ヶ所余りに創を負っていた。
 愛馬が、彼を乗せて走る。汗血馬さながらに、血煙をまき散らしながら。
 山の奥へ、奥へ。林を縫って。
 張り出した木の根につまずいた馬は、遂に力尽きた。二度と立ち上がる事無く倒れる。
 放り落された黒騎士の意識が遠のいてゆく。手にはまだ、紅の液体がまつわりつく剣を握りしめたまま。
 その一瞬、彼は白光を見た様な気がした。


 射して来る暖かい陽光に、彼は目を開けた。手で眩しさを遮ろうとして、痛みに呻く。
 ふと、頭を支えている枕の存在、身体を覆っている毛布の柔かさ、天井の保護感覚、に気付く。驚きながら、苦労して顔を廻らす。
 明るい、青い目をした少女が立っていた。彼女の名を、エレーヌ。……

 エレーヌの看護のおかげで、彼は日増しに回復していった。
 何故助けてくれたのか、不思議に思った彼は少女に聞いてみたことがある。おたずね者なのだが、と。が、少女は、いつもと同じひかえめな微笑みを浮かべただけであった。
 少女には係累が無かった。たった一人で、山の中腹の林に囲まれた小さな家に、わずかな家畜と住んでいた。不思議な、しかし可憐な、少女エレーヌ。……
 彼――ジャン・クロードに、久し振りの、暖かな陽だまりの日々が帰って来た。
 いつしか、彼はエレーヌにほのかな慕情を抱く様になっていた。が、それを態度に表すことまでには踏み切れなかった。自分がいると、少女は不幸になるに違いない。動ける様になったその時、出て行かなければならないのだ。
 だから、と彼は願った。このままずっと、――と。俺の貴婦人、俺の聖母マリアとともに。
 夜、スープを飲む彼の横で、少女は、灯りの照り返しをうけながら、丹念に彼の鎧を磨く。終りかけた夏の闇を、虫の声だけが埋めて行く。……
 が、そんな生活も長くは続かなかった。

 異変は、黒馬の形を借りてやって来た。
 見事な駒だった。どの様な険しい道でも、いかなる激戦をも耐え抜き踏破し得る強靱な四肢。炎を宿している瞳。こんな山の中へ迷い込んで来る事自体が不自然な程の生き物だった。
 ようやく歩ける様になったジャン・クロードは、持ち主が現れるまで預っておくつもりで世話をした。が、いつまで経っても誰もこない。麓の村へ、チーズを小麦と交換しがてら様子を見にいったエレーヌも、何の噂も得てこなかった。
 潮時、と彼は見た。彼が少女の元にいれば、いつ何時少女に災厄が振りかかるかも知れない。彼は、出会っただけでこれまで何十人という人を死に至らしめていたのだから。そうでないにしても、宮廷の者が彼を捜索に来たら、少女もおしまいである。
 彼は再び黒騎士となった。
 その馬に乗った途端、彼はそれが自分に遣わされたものであることを直感した。
 永遠に戦うことが、黒騎士でありつづける事が、自分の運命。
 少女の視線が、すがりつく様に追って来るのを彼は感じていた。鎧の鈍い光沢が、哀しい程彼の目に迫った。
 が、彼は振り返らなかった。
 俺は、黒騎士。……


 林の最後の木が左後ろへ通り過ぎる。
 かすかに秋の気配が潜む平野が、彼の前に開けた。その全面を覆っている空は厚い雲に埋められていて、わずかに太陽光線が数条、狭い裂目から射して来ている。
 光線の下、白く輝く何かがあった。
 ! あの時、気が遠くなる間際に見たのと同じだ……
 正体を確かめる為、彼は少し近づこうとする。拍車を入れるまでもなく、馬は彼の思惑に忠実に従う。考えが判るかの様に。
 それは、二匹の真白な生き物だった。一方は鷲。黄金色の嘴と爪とを持ち、射る様な目には覇者の激しさを秘めている。
 いま一方は雄鹿。同じく黄金色の、陽光を浴びて燃え上がる見事な角を戴く。そして瞳には、王者の風格が炎となって現れている。……

 それは衝動だった。
 理由など無い。荘重な(神聖な、と云ってもいいだろう)二匹の生き物に、魅かれ取り憑かれたのだ。
 来る日も来る日も、彼は二匹を追いつづけた。寝食さえも忘れかけて。が、いくら馬を駆ろうとも、二匹はかろやかに遠ざかってゆく。
 不思議な光景だった。地平線近くで自由にたわむれる白い生き物達と、追いつこうとする黒衣の騎士と。曇りがちの空の下に乱舞する太陽光線の中で。

 黒騎士は追いつづける


 見覚えのある山だった。
 二匹を追うのに夢中だった黒騎士は、ふと気付いて馬を停める。
 あれはエレーヌの住んでいる山では無かったか。
 しばらく眺めやった後、彼は決める。少女に判らぬ様に、様子だけ見てこよう。
 彼は山裾をまわり、林の間の細い道をたどって登る。殆ど落ち切った葉が、蹄鉄の下で乾いた音をたてる。
 変だ。
 比較的新しい、何頭分もの馬蹄の跡がある。
 彼は鞍から跳び降りる。木の背後を伝って少女の家に近づく。
 人の気配はおろか、少女の飼っていた牛や鶏の気配すら無い。
 彼は家に躍り込んだ。狼藉略奪の跡が新しい。少女の名を呼ぶが、返事はもとよりあるはずも無い。
 馬に跳び乗ると、来たばかりの道を駆け下る。麓の村で手綱を引くと、一人の男を掴えて詰問する。
 男は、恐怖に歯を鳴らしながら、かろうじて答える。一昨日、宮廷の兵士達が来て、少女を引っ立てていった、と。黒騎士をかくまったかどで、裁かれた上火あぶりだと云う、そして執行は今日のはず……!

 男を放り捨てて、人馬――彼ら、は城へ走る。もはや我が見がどうなろうと、構ってはいられなかった。
 人馬が、黒い旋風となって街道を駆け抜けていった。
 半日の疾駆の後、ようやく彼らは城下へたどりつく。陽は既に暮れかけている。
 人の流れに乗り、彼らは広場へ向う。異常な人出だ。
 人波をかきわけて、やっと彼らは広場へ出る。
 遅かった。
 燃えさかる炎の中で、少女は彼を見つけ、微笑み――そしてこと切れた。
 彼は、最後の希望の糸が切れる音を、確かに聞いたと思った。
 少女は、彼の目の前で炭化し、崩れ落ちてゆく。……


終章

 翌朝。
 天を黒雲が覆いつくし、地を風が吹き抜ける。
 城外の草原で、城の軍勢と、黒騎士とが対峙していた。
 枯草が、風にざわめく他は音一つしない。
 沈黙を、一声の喇叭が破った。同時に、黒騎士の中の闘争の魔物が鎌首をもたげる。
 一人対数百人の戦闘が開始された。
 黒騎士は、信じられない程強かった。まるで殺戮を楽しんでいるかの様だった。黒い鎧と黒馬に、白い羽根飾りと白銀の楯が映える。剣の刃の上に、鮮血の飛沫が躍る。凄惨な美しさだった。
 人馬一体となって当る者全てを屠るその姿は、まさに悪魔の化身だった。彼は一人、飽くことなく闘いつづける。

 黒騎士がふと気が付くと、立っているのは彼とその馬だけだった。剣が音無く、彼の手から滑り落ちる。
 無数の屍が、目の届く限り横たわっていた。紅の海に漬って。
 声無き叫びが、彼の唇を突いた。
 力無く、はずした兜を取り落す。兜は、風に転がり、死体に当って停まる。
 彼の額が割れていた。だけでなく、全身にかなりな深手を負っている。彼の馬も、身体中に矢傷槍傷を受けている。立っていられるのが不思議な位だ。
 その曇り空の草原の彼方に、突如としてあの白鷲と白鹿が姿を現わした。
 瀕死の重傷の身の何処に、そんな気力が、力があるのか。……黒騎士と彼の馬は、よろめく足どりを踏みしめ、美しい生き物達を追ってゆく。

 彼らが去った後の草原に、氷雨がおりて来た。
 累々と折り重なる骸を打って氷雨は降りつづける。

――了――


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