シンセサイザーについては困った。私はこの楽器を2台持っていて(写真の鍵盤の一番上は、ただのコントロール用であって、音源は入っていない)、一つは20年前に買ったローランドのSH−3A(アナログ、単音しか出ない、MIDIインターフェイスなし)、もう一つはヤマハのSY77(デジタル、和音演奏可、もちろんMIDI付き)である。ところが、この二つは全然違う楽器なのだ。音が違うとかなんだとかそういうことではなく、そもそも楽器としての質が全く異なっている。
単音しか出ないアナログの場合、これはもう、純粋な意味での「シンセサイザー」である。というよりも、個人的にはライヴ用のシンセサイザーとは本来こんなものだと思っている。MIDIが使えないのでとにかく手で弾くしかないし、他の楽器の音を合成するなんてのも基本的には不可能。記憶装置がないので音はそのたびに変わるし、合成した音をディスクに保存することも出来ない。いや、そもそもが「音色合成機」といっていながら、「これがシンセサイザーの音だ」というのは確かに存在し、それは何かと言うと、今でもこういったアナログ・シンセの「ウィーン」とか「ビヨーン」とかいう音を指すのである。
それが高性能のデジタル・シンセサイザーの時代になってから、どうもこの楽器は他の楽器の代用になってきたような気がする。サンプリング音源の発明で、金管や弦楽合奏などは飛躍的に音質が向上し、一人でオーケストラの代りも出来るようになった。それはそれですごいことなのだが、反面、どうも「シンセサイザー」というものが本来持っていた「新しい音色の可能性」というか、そういったものが今一つ見えない。だいたい、演奏者が自分のイメージで音を作ると言うのが、あまりにもパラメーターが増えてしまったため、何だか難しくなってしまったのである。これは、ユーザーの使い易さを考えてある程度モーグIIIの機能を制限して作られたミニ・モーグとは、明らかに逆行した状況だ(余談だが、かつてはあのばかでかいユニット型は「モーグIII」、ライヴ用が「ミニ・ムーグ」というのが、私が使っている普段の呼び方であった。どうして統一出来ないのだろうと思っていたら、キーボード・マガジンの97年12月号で、「モーグ」が正しいとわかった次第である)。更に、音色のデータをフロッピー・ディスクに入れられるようになったため、そのソフトを購入することも出来る。その結果、ますます自分で音の合成をすることが出来なくなっていく。どうも、痛しかゆしである。
楽器と言うのは、自分が何を選ぶか決める段階から、すでに音楽表現を始めているものだと思う。ショパンはピアノを選んだし、サラサーテはヴァイオリンを採った。意識してではなく、いろいろな都合でそうなったにしても、結局それは彼らの作曲活動にまで影響している。シンセサイザーは、本来音色の合成も演奏の一部であるはずの楽器だ。それがどうも最近は、ピアノやオルガンが一つの中につまった、七徳ナイフのような状態になってきているような気がするのである。
GMやGSの採用で、MIDI音源はある程度の共通した規格を必要とするようになってきた。そのようなシンセサイザーは、果たして真の意味での音色合成機と言えるのだろうか。その点に疑問を持ちつつも、自分はそれらの機能を全く使いこなせず、決まった音色をスイッチ一つで引っ張り出して演奏している今日この頃である。少なくとも、便利だという理由で――。