楽器に関する覚え書き

テルミン――theremin


 テルミンだって? そう、あのテルミンである。2本のアンテナを実装し、それらに手を近づけたり遠ざけたりすると音程と音量が変わる。聞こえる音は、のこぎり(もちろん、木を切るための、あの「のこぎり」である)を楽器として使った時に似ていると言えばおわかりだろうか。オンド・マルトノと並ぶシンセサイザー前史の電子楽器――。シンセサイザー前史と言っても、この二つはきちんとした現役の楽器である。オンド・マルトノは大学で正課がある所もあるらしい。
 自分が買えたのはポケット・テルミンという奴で、トランシーバーくらいの箱型ユニットに小型のスピーカーを実装している。これには音量調節用のアンテナがない。その代わりミニ・ジャックの出力がついているので、これをアンプにつないで途中にヴォリューム・ペダルを入れればよい。
 と言うのは簡単なのだが、実は問題が発生している。ここにシールドを差し込むと、音程が変わってしまうのである。この音程は、掌とアンテナの間の静電容量の変化で付けているので、回りの電場の状態に影響されるのだろう。それでもチューニングが変わるくらいならまだいいのだが、困るのは内蔵スピーカーのみで演奏する時と、音程の順が反対になることだ。キーボード・マガジンの97年12月号によると、本来は手を遠ざけると低音、近づけると高音になるのが正しいのだが、このポケット・テルミンは内蔵スピーカーで演奏する場合、手を近づけると音程が下がる。それがアンプをつなぐと反対になってしまう(つまり、本来の姿に戻る)のである。ところが、ウォークマン用のアンプをつないで試してみたら、今度は内蔵スピーカーと同じだった。もしも外に持ち出した場合、そこにあるアンプにつなぐとどちらになるのかは、やってみるまでわからない。練習する時はどちらだと思えばいいのだろう。実に困ったことである。
 とはいうものの、そもそもこれできちんとしたメロディを出すのは至難の技といえる。アンテナとの間の微妙な手の位置関係、指の開き方、更には回りの電場の状況で音程が敏感に変化してしまうので、音階を出すことすらまだ出来ない。前述のキーボード・マガジンの付録CDでは、何とサンサーンスの「白鳥」を演奏している所が収録されているが、これはかなりの名人芸である(もっとも、これに使ったテルミンは、ロバート・モーグが作ったもっと高級な楽器だが)。これでは、いずれにしても効果音程度にしか使いこなせまい。キース・エマーソンが「展覧会の絵」でリボン・コントローラーを使って延々と電子音を出す所があるが、あんな感じである。

 それにしてもこれを鳴らしていると、楽器とは音源と人間をつなぐユーザー・インターフェイスに他ならないことを、つくづく思い知らされる。この楽器は基本的に音が鳴りっぱなしで、しかもポルタメントでしか演奏出来ないのだ。どこの世界に、音が鳴りっぱなしで止められない楽器があるのだろう。アンテナが2本ある高級品でも、基本的には変わらない。音量調節は出来ても、厳密な意味での音のスタートを決めることは出来ないのである。MIDIでいうノート・オン・オフを持たず、エクスプレッション・ペダルでのみ音を切りながら(切るだって? 単に聞こえない所まで、音量を下げるだけだ)、ピッチベンダーでメロディを出すようなものだ。しかも当然ながら、単音しか出ない。これで演奏される音楽がどのようなものになるか、想像してみて欲しい。
 例えばヴァイオリンを弾く。弦を擦るという演奏法は、その音色のみならず、音のつながり方や震え方に作用し、最終的には演奏される音楽に影響する。ベーム式のフルートは音程を出来る限り安定させるように設計されているが、その結果、能管の曲は演奏出来ないのだ。
 現在の発達したシンセサイザーやサンプラーなら、テルミンの波形を再現することはいとも簡単に出来るだろう。しかし、その曲を演奏することは絶対に出来ない。鍵盤やブレス・コントローラーでは、あのように直接音程をコントロールすることは不可能なのだ。
 と考えてみて、ふと思ったのだが、テルミンのMIDI化は可能だろうか。2本のアンテナを立てて、一つはピッチベンダー、一つはエクスプレッションに設定する。ただし、ピッチベンダーのレンジはかなり広く取らねばならないだろう。そうしておいて、最初にノート・オンのみ送るスイッチを付ければ、MIDIテルミンの完成だ。音源無しでの値段は、うまくすれば5万円を切ると思う。そして、対象となる音源(シンセサイザーでもなんでもいい)の方で、あの波形を再現するのである。なんだったら、サンプリングしてもいい。
 例によって、マニアはいろいろなことをいうかも知れない。しかし、ロバート・モーグ自身が、「こういうものは前の機械を改良するように作ってきたわけだから、新しい方がいいに決まっている」といっているのだ。彼のように、実際に製作に係った人が言うと、なかなか説得力のある言葉である。
 テルミンについては、こう考えればいい。どうしてもオリジナルにこだわるのなら、今までのテルミンに、そのままMIDIアウトを追加するのである(MIDIインはあまり意味がないと思う)。これを使わない時は、内蔵音源で今まで通り演奏出来る。ただ、ここからシンセサイザーにでもつなげば、それで更に音のヴァリエーションが広がるのだ。

 テルミンは電子楽器である。にもかかわらず、その本質は波形や音色にあるのではない。あくまでその特異な演奏法が、この楽器の真髄である。オンド・マルトノなどはスピーカーの仕掛けで音を変えるが、これはそのようなものではない。だとすれば、まだ音質の点で考えるべきことはあるはずだ。ユーザー・インターフェイスをそのままにしてMIDI化することも、それなりの意義はあると思う。

宇宙暦29年11月25日)


音楽室に戻る