エレキ・ギターについても、何か書かなくてはなるまい。
写真のモズライトのギター(というより、その残骸)は、高校生の時に友人から買ったものである。モズライトというのは今は聞いた事のないメーカーになってしまったが、古くはベンチャーズが使用していたといえばおわかりだろうか(と思っていたら、ちゃんと存続していたのだが)。形態はレスポールだが、ファズのかかったような歪んだ音が出た。
当時、これは不良の楽器であった。こう言っている私自身も、そのころはロックがちっとも好きではなく、あんな騒がしい音を聴いて何がいいのかと思っていたものである。その考えを変えさせたのが、ピンク・フロイドとEL&Pだった(マイク・オールドフィールドはロックだと思っていなかった)。このうちEL&Pは、結局私をキーボード奏者にしたわけだが、ピンク・フロイドはもっと別の意味でエレキ・ギターという楽器を見直させた事になる。
言うまでもなく、このバンドのギタリストはデヴィッド・ギルモアである。その前にシド・バレットがいるが、まあ、本当にメジャーなのはギルモアの方だろう。彼のギターはフェンダーのストラトキャスターで、とにかくその使い方は「巧い」の一言に尽きた。といっても、別に演奏がうまいという意味ではない(もちろん、「葉巻はいかが」のソロなどを聴くと、彼がかなりのテクニシャンであることがわかる)。それよりも、音の出し方が重要なのだ。エレキ・ギターとは、言うまでもなくマイクで拾った音をアンプで増幅して出す楽器だ。その目的は、音を大きくするとともに、何よりも普通のギターでは出ないような歪み(ディストーション)のかかった音色を得る事にある。また、アンプに音が到達するまでの間に様々なエフェクター(ファズ、ワウワウ、リバーヴ等)を通せば、更に色々な可能性を広げることが出来よう。デヴィッド・ギルモアはピンク・フロイドという「音」にやたらにこだわったバンドの中にいて、エレキ・ギターの可能性を実に巧く弾き出したギタリストだったのである。そう、私にとってのエレキ・ギターとは、一種のシンセサイザーだったのだ。
ロックとは、その内部に如何に原初的なリズムや叫びを持っていようとも、「電気」という文明の最先端の資産を使わないと成立しない「音楽」である。コロンビア・レコードから出ていたヴァージンのサンプル・レコードの解説には、次のように書いてあった。すなわち、ロックに反対するのに別に難しい理屈はいらない。ただ、電源を切りさえすればいい、と(学生時代、コンサートをするためには、何よりもまず、電源確保が至上命令だった)。ドラムスというそれだけで大音響を出しうる楽器に対抗するというだけでなく、もっと「太さ」とか「力」とでも言うようなものが欲しいために、ロックはエレキ・ギターを必要とする。自分はキーボード奏者だが、やはりこの世界にいるからには、エレキ・ギターは一つのステイタス・シンボルである。だから、余り弾く事がなくとも、常に手元に置いておきたい。星飛雄馬が、投手専門であまりバッティングはやらなかったが、マンションの部屋にバットの1本くらいは置いていたようなものか。
とはいうものの、ピアノほど練習しなかったために、ちっともうまくならなかった。だいたい、人差し指で全部の弦を押さえる、Fのようなコードが苦手なのだ。何だか部屋の隅にひっそりと置かれているうちに古くなってしまった。もったいないことをしたものである。
ところで、私はエレキ・ギターを座って弾く癖がある。本当はストラップを付けて、立って弾く楽器のはずなのにどうしてなのか。これについては、「エレキ・ベース」の項を参照して欲しい。