楽器に関する覚え書き

所有していない鍵盤楽器――other keyboards


 所有していないキーボードの中にも、いろいろと想い出のあるものがある。これらはたまたまというか、色々な理由で手に入れていないし、今後も多分買うことはあるまい。どこかの店でよほどの安値で出ていればあるいは、というものもあるが、ほとんどの場合、置場所がなくて駄目である。鍵盤楽器は色々な音を楽しむことが出来るが、それはリック・ウェイクマンやリチャード・ライトのように、それだけの楽器を所有出来た時の話。現実にはそう簡単ではない。ただ、歴史の中には見落とすことの出来ない名機も存在している。ここにはそれらに対する個人的な想い出を並べておいた。

    フェンダー・ローズ・ピアノ

       このピアノは、何回か弾いたことがある。他にはウーリッツァの電気ピアノを1回だけ弾いたのが、この手の「電子発振でない」エレキ・ピアノの経験のすべてだ。この二つは片支持棒形式という金属の棒を叩く方式の音源なので、弦を持っていない。そのため独特の冷たい音を出し、ジャズやロックで好まれていた。
       さて、フェンダーのピアノは、なんだか随分キーが叩きにくかった。何と言うか、「綿の布団」というようなタッチなのだ。それまで自分の知っていたキーと言えば、ピアノのような「叩く」キーと、オルガンのような「押す」キーだが、ローズ・ピアノのキーは叩くべきキーなのに押すようなタッチで、しかも重い。何か聞いた話では、このキーの固さ(そう、「重い」というより「固い」のである)は調整出来るそうだが、真偽のほどは定かでない。音の感じはクラシックにまったく向かず、基本的にジャズやロックの楽器だ。これは、ハモンド・オルガンがバッハやヘンデルの演奏に充分使えるのと対照的である。したがって、練習用には重くて高いし、普段使うにはピアノの方が欲しかったので、買うには至らなかった。現在製造されておらず、電子化された音のものが残っている。


    ホーナー・クラヴィネットD−6

       電気ピアノの黎明期に、多分唯一弦を使って音源にしていたキーボード。しかしその実態はピアノではなく、クラヴィコードである。独特のハープシコードのような音が出るが、ヴォリュームを上げてやるとディストーションがかかり、ギターのような感じも出すことが出来る。スティービイ・ワンダーの「迷信」で有名になったというが、個人的にはキース・エマーソンの「ナットロッカー」(ただ、EL&Pの他の曲であまり聴いたことがないので、何かの間違いかも知れない)やリック・ウェイクマンの「地底探検」で知った。プログレ系ではハープシコードのような音で使われたが、ギターのような使い方ではファンクなどで好まれていたという。
       これは店で2回見ただけである。一つは高校卒業直後、一つは大学院卒業直後だから、7年のタイムラグがあったわけだが、仕様はほとんど変わってなかったと思う。高校卒業後は、大学に入ってから使うエレキ・ピアノを物色していた時期だったので、割と念入りに試奏してみたが、結局あまりに音に特徴がありすぎて、手に入れるに至らなかった。本当は欲しくてしかたがなかったのだが、予算も場所もなかったのだ。店に置いてあることもあまりなかったし、日本人で使っている人はどのくらいいたのだろう。


    メロトロン

       鍵盤の数だけテープ・レコーダーを並べ、そこに楽器の音を録音して鳴らすという、究極のアナログ・サンプラー。当然ながら高くて重く、故障が多かったという。だいたい、磁気テープをこんな使い方してどのくらい保つのだろう。はなはだ心許ない限りである。
       とはいえ、リック・ウェイクマンが弾く「イエスソングス」のメロトロンはすごかった。たった一人で合唱団の代りが出来る! タンジェリン・ドリームもメロトロンを好んで使ったが、あまりに音が加工され過ぎていて、シンセサイザーと区別がつかなかった。メロトロンの本質は、やはり「多人数の代り」にあると思っていたし、これならクラシック系の自分でも充分意味があると思ったので、本当に欲しかった。もちろん夢物語だったのだが――。
       したがって、初めてSY77を買ってサンプリング音源の性能を試した時、真っ先に弾いてみたのはコーラス(人声)の音色である。結果は――満足出来ない。それ以来、店でいろいろなキーボードのコーラスの音を出してみるが、これといったものは一つもない。音程によってはいいところもあるのだが、メロディを弾くとどうしても機械の音に聞こえてしまうのだ。結局、未だに夢物語なのだろうか。


    ヴォックス・コンチネンタル

       手元にあるCD・レコード等でこのオルガンの音が聴けるのは、多分ドアーズの「ハートに火をつけて」とエルビス・コステロの「アームド・フォーセス」だけだろう。他にこのころのコンボ・オルガンで有名なのに、ファルフィッサ社の楽器があるが、他のキーボードと音が混じっているレコードばかり(マイク・オールドフィールドやピンクフロイド)なので、コメント出来ない。
       ヴォックス・コンチネンタルは、49鍵4オクターヴ、ドローバーが6本あるが、うち4本がハモンドのような倍音コントロール(何故こんなに少なくてそんなことが出来るのか。実は16、8、4フィート以外のすべてが、一本でコントロールされるためである)用で、あとの2本が倍音少な目の音と多めの音のミックスになる。その音は、よくかっこつけて「チープな」と言われるが、要するに安っぽい。とてもクラシック系の曲を弾く気にはなれず、自分なら迷わずハモンド・オルガンを採るだろう。ブルース系でも、やはりハモンドの方が合うんじゃないかなあ。にもかかわらず結構広まったのは値段が安いから? 何しろB−3が何百万円の所を、250ドル(当時のレートでいくらなんだろう。20万円になることはないと思う)だったのだ。自分も音源モジュール独立型になって、初めてハモンドを買うことが出来た。だったら、たとえ音が気に入らなくとも、安い楽器で我慢すべきだろう。そういうことなのか?
       しかし、ドアーズのレイ・マンザレク等は、あくまでこの音にこだわり続けた。彼が目指したのは、B−3の真似ではない。このヴォックスの音そのものである。
       楽器の好みはさまざまだ。例え何百万円もする楽器でも、気に入らなければそれまでである。逆に、安っぽい音のオルガンがどうしても欲しくなることもあろう。ただ自分としては、このオルガンをわざわざ買う気にはなれない。自分のやっている音楽の範疇に入って来ない音だからだ。でも、持っていると案外いいのかも知れないなあ。今度、SY77のAFM音源で出せるかどうか、やってみよう。


    ミニ・モーグ

       ミニ・モーグもまた、手に入れていない。学生時代ならともかく、これがMIDI改造されてユニットに収まった今も、ちょっと手が出せない。私くらいの年齢のプログレ系キーボード奏者なら、当然憧れてしかるべきなのに。
       まあ大きな理由としては、既にローランドのアナログ・シンセ(SH−3A。これもかなりの年代物だが、いい音が出る。MIDI改したいなあ)を持っているからだろう。結局あまりステージに立たず、一人でこつこつ作曲して打ち込んでいる者にとっては、演奏中に音を変えられるからといって使い道が広くなるわけではない。むしろ、たまにしか出ないステージに、あまり大きな機材では運べないことの方が大きい。MIDI化されたモーグだって、そんなに安くはないのだし。
       しかし、ミニ・モーグかあ。せめて実物を弾いては見たいものだ。あのつまみ類をいじりながらフレーズを演奏すれば、いろいろと楽しめるだろうなあ。
       実はSH−3Aは、ミニ・モーグに比べて音が固いような気がするのだ。オシュレーターの数が原因なのだろうか。レゾナンスのかかった「ビヨーン」という音を出した時は、ミニ・モーグは確かにいい。ただ、前述のようにステージ以外ではほとんど役に立たないし、現代のようにシンセサイザーの音が溢れかえっている時代では、あれでパフォーマンスをするには、演奏者にかなりの表現力がいるだろう。結局、使い方が確立する前に世の中はデジタルに行ってしまったし、自分は――良くも悪くも――ピアノとオルガンの方が好きなのである。


    オンド・マルトノ

       テルミンの所で書いたように、シンセサイザー前史の電子楽器でありながら、未だに現役でいる。オリビエ・メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」でも使われており、大学に正課があるそうである。シンセサイザーと違い、スピーカーから音が出た後に、更に加工をほどこす(例えば、スピーカーの前に弦を張るとか)。なぜシンセサイザーで代用出来ないのか、実はよくわからない。レコードで聴く限りでは、現代の発達したシンセサイザーなら、何とか出せそうな音なのだ。ただ、きちんと保管しておかないと、長い間には音が忘れられてしまうだろう。サンプラーの音源にはなっているらしい。さすがにシンセサイザー以上に使い道がないので、持っていない。


    ハープシコード

       初めて知ったのは中学生の頃。すぐに欲しくなった。なぜなら、NHK少年ドラマ「タイムトラベラー」の主題曲で使われた楽器だったからだ。始め、あの印象的な音はピアノかなんかなのかなと思っていたが、後にあれはハープシコードというのだとわかった。ピアノと違い、弦を引っ掻いて音を出す。主にバロック系の音楽で使われる。
       ということなのだが、バッハの平均律やインヴェンションも、現在はほとんどピアノで弾かれる。もともとバッハの鍵盤楽器の曲は何で弾くかの指定がなく、当時もクラヴィコードかハープシコードかはその場に任されていたのだから、現在もっとも広まっているピアノで弾かれるのも無理はない。ただ、レコードくらいはなるべくバロック用の古楽器で弾いて欲しいものである。
       現在この楽器は、電子化されて生き返った。もちろん古典的な弦を張ったものもあるが、家庭では電子ピアノやシンセサイザーのハープシコードでも充分である。ピアノと違ってキータッチが音に影響を与えるような構造をしていないし、隣の弦との共振などの複雑な要素も少なかったため、電子化しやすかったのだろう。そもそも個人的には本物は1回しか弾いたことがなく、あとはレコードで聴いただけだから、スピーカーから出る音がそっくりならそれでいい。SY77のハープシコードの音で満足しているため、今後も本物を手に入れることはないと思う。


    パイプ・オルガン

       これを持っていないことについて、言い訳が必要であるという人はいないだろう。本格的なパイプ・オルガンはコンサート会場や聖堂と一体化している巨大な楽器だし、家庭用も見たことはあるが、やはりとてつもなく背が高い。知り合いの音大出のオルガン奏者も、家には電子化されたものしか持っていなかった。これは、一度も実物を弾いたことはない。
       クラシック系のキーボード奏者にとっては、夢の楽器である。もう一方の雄であるグランド・ピアノは、まだその気になれば学校の音楽室などで見ることも出来るが、これはとても無理だ。ハモンド・オルガンを始めとする電子オルガンも、パイプ・オルガンを小型・軽量化(物理的にも価格的にも)しようという夢がなければ、これほど発達することはなかったろう。
       しかし、これはかなり長い間まともなものが出来なかった。純電子式の発振器でゼロから音を作っていくやり方では、あんな複雑な音がそう簡単に出来るはずもない。ドローバーの倍音合成である程度のものは出来たが、やはりレコードで比べて見ると全然違うのだ。キース・エマーソンが「展覧会の絵」の冒頭で弾いたオルガンの音に憧れて、いつかパイプ・オルガンの本物に出会った時のためと思い「プロムナード」を練習して来たが、夢は未だに夢のままである。  ただ、例によってサンプリング音源の発達は、私を見捨ててはいなかった。SY77にプリセットされているパイプ・オルガンの音は、自分にとってかなり満足の行くもので、「プロムナード」やバッハのニ短調トッカータなど、これが自分で弾いた音かと思ったほどである。息子の保育園のクリスマス・コンサートなど、この音は絶対に欠かせない。問題は、パイプ・オルガンの音色は、あの典型的なフル・オルガンの音以外にもいろいろあることで、SY77は1つしか再現していない。この辺り、ハモンド・オルガンと同じように、パイプ・オルガンの音源モジュールが出ないかとも思うのだが――。そうすれば、持ち運びの出来るオルガン・ユニットが、安価に手に入る。


    チェレスタ

       チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の中の「金平糖の踊り」。それ以外ではバルトークの管弦楽曲か。ロックの世界でもあまり使われていない。この楽器も本物は見たことがない。
       電子化についてだが、GM音源も一応この音色は持っているのだが、どうにも気に入らないのである。ピアノよりも電子化は楽(となりあった板の音の影響とかを考えなくていいので)だと思うのだが、似た音として採用されているビブラフォンの方が響きがいいのはどうしてだろう。クラシック・ギターと同じように、この楽器のための曲がどんどん作られないと駄目だろう。ただ、個人的にはこれと似た音を出す楽器としては、むしろ電気ピアノの方を採るので、手に入れることはないと思う。

宇宙暦29年11月10日)


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